「トラウマは存在しない」

アドラーはトラウマを否定しているというのです。一般的な心理学のイメージでは、例えば心の中に大きな傷(トラウマ)があって、その傷の原因を見つけて取り除く事で解決に向かっていくという考え方なのかと思っていました。でも、そんなものは最初からないと哲人の言葉で語られていくのです。もちろん過去に心を痛めた事はあるだろうし、それが今の自分に影響しているという事実もあるかもしれません。しかし、それが自分の考えや行動の決定事項とはならないというのです。

この本を読んでいる私は、心理学に詳しくもないし、もちろんアドラー心理学に対しても詳しいわけではありません。そんな私が、この「トラウマは存在しない」という言葉を目にした時、日本には「トラウマ」を抱えて悩んでいるという人は、何人くらいいるのかと考えました。

実際に、現在の日本ではそのトラウマを心的外傷と考えて治療する人も少なくないと思います。それをアドラーは否定するのですから、何だか少し見離されたようで寂しく感じました。しかし、見離された気持ちになったという事は、自分にもどこか思い当たる要素があって、何かがうまくいかなかった事を過去の出来事のせいにしてきたのではないか、それを「トラウマ」と認識していなかったか?とこれまでの自分を改めて振り返りました。もしかして、自分は過去の出来事を使ってどこかで言い訳をしていなかったか?言い訳をしてしまっていた自分は、結局は周囲の人の視線や態度に振り回されて行動していなかったか?その時にふと、この本のタイトル「嫌われる勇気」が響いてきました。

今、日本人は自分の考えや気持ちを優先できずに、自分でも気付かないうちに周囲の人の視線・考え方・行動に振り回されてしまっているのではないでしょうか?そして何だかモヤモヤしているけど、その原因も、解決法もわからないまま何か答えを探しているのでは?ブログやSNSの普及と同時に、自らを表現する場が増えた昨今だからこそ、「嫌われる勇気」という言葉に日本人が惹かれているのかもしれません。