新人作家の第1作を読むときは、いつも不安な気持ちで最初のページを開く。
 どんな色彩が、どんな旋律が、どんな芳香がそこにあるのかは判らないのだから当然のことだ。何一つ持ち物もなくその中に身をゆだねて気持ちのいい風に包まれたときの素晴らしさときたら! あるのはただ感謝、感謝の気持ちだけだ。

 

 加藤シゲアキ『ピンクとグレー』も完全に予備知識がない状態で本を手に取った。著者がジャニーズ事務所に所属する芸能人だということは帯のコピーでもわかるし、何日か前にネットのニュースでもこの本に関する何かを見たので知っている。だが、彼が所属する「NEWS」がどんなグループなのかも私は知らないのである。画布は真っ白だった。

 第1章で判るのは、これが白木蓮吾というスター芸能人についての回想であるということだ。語り手の<僕>は「過去彼の隣にいたというだけ」の存在であるという。そのためらいがちの語りの背景には、何かがある。白木蓮吾について語るという行為は<僕>にとって「永遠に外れる事のない足枷を引きずりながら」、それでも生きていくために必要なことだというのだ。
 作者は小説に2つ起点を設け、語りを並行させることを選んだ。1つは今書いた24歳の<僕>の重い語り、そしてもう1つは彼が9歳のときに始まる回想録だ。家庭の事情で1年間に4回もの引越しを経験した9歳の<僕>は至極不機嫌な顔をして横浜のあるマンションへと連れられてくる。そこで転居の挨拶をしているときに、<僕>こと河田大貴は、<ごっち>こと鈴木真吾に出会うのである。
<僕>と<ごっち>は、もう2人の仲間、木元と石川と共に、大人たちから「スタンド・バイ・ミーみたいだわ」と言われる4人組を結成する。<僕>のあだ名は<りばちゃん>。映画「スタンド・バイ・ミー」で主演をしたリバー・フェニックスと、名字の1字「河」にかけたものだ。この「スタンド・バイ・ミー」のモチーフは忘れた頃に何度か用いられ、そのたびに読者の気持ちをふわりとくすぐる。しかし4人組の紐帯は永遠には続かない。木元と石川が引越しでいなくなってしまうからだ。後には<僕>と<ごっち>だけが残る。2人は同じ高校へと進学し、同じ日に渋谷でモデルを探していた女子高生向けファッション誌の編集者に見出される。
 このストーリーと並行して24歳の<僕>の語りが続けられていたことの意味がだんだんわかってくる。物心ついたときにはふたごのように一緒にいて、同じ日に同じ運命へと足を踏み入れた2人。これはダブル、双生児の物語なのだ。2人が描いてきた軌跡は、人生のどこかで離れることになった。それはどこなのか。24歳までのどこかで訪れる訣別の瞬間に向けて、緊張しながらページをめくっていった。