CREEPY。「(恐怖のために)ぞっと身の毛がよだつような:気味の悪い」
改めて書くまでもないことだが、ミステリーの大事な要素として犯罪を描くということがある。犯罪という局面では、人間の異様な貌が見えることがある。今でも覚えているのが、1989年に起きた坂本堤弁護士一家殺人事件だ。一家三人を殺したのはオウム真理教(当時)の幹部たちだとされている。そのうちの一人が自白したところによると、彼らは新潟県の山中に三人の遺体を埋める際、途中で蟹を購入し、それを食べながら作業を行ったのである。死体遺棄の最中に蟹、という取り合わせが私には気持ち悪くて仕方ない。また、2000年12月30日に起きた世田谷一家殺人事件(未解決)では、犯人が殺害実行後も現場にとどまり、某有名劇団のサイトにアクセスしてチケットを予約しようとした形跡があるという。これも三人を殺害した人間のやることとは思えない。
突如としてつきつけられた異形は「身の毛がよだつような」と形容するのがふさわしいほどに日常からかけ離れたものだ。しかしそれは、間違いなく日常に接続している。出来事の異様さにおののいた後に、真の恐怖が待っている。それは自分の隣人、いや自身に降りかかってくるかもしれないからである。
前川裕『クリーピー』は、住宅街の一角でひっそりと起きた惨劇を描く作品だ。第15回日本ミステリー文学大賞新人賞の受賞作である(同時受賞は、川中大樹『茉莉花(サンパギータ)』)。著者には法政大学国際文化学部教授という肩書きがある。専門は比較文学だ。
語り手を務めるのは著者と同じく研究職についている、東洛大学文学教授の高倉である。彼は東京都杉並区の閑静な住宅街に住んでいる。西隣には二階建てのアパートがあり、高倉家と、東隣の西野家、向かいの田中家の三軒は、他の住宅から孤立したような状態になっている。アパートの建物によって仕切られているのだ。ある日そのアパートの住人が暴行未遂の事件を起こしたことで高倉は気付く。自分は、隣家の人間のことを何も知らないのだと。
その高倉の高校時代の同級生に、野上という男がいた。現在の野上は警視庁捜査一課に所属しており、高倉が犯罪社会学を専門にしていることから、ある事件についてのアドバイスを求めてきた。八年前、東京都日野市で起きた一家三人行方不明事件だ。たまたま家にいなかった中学生の長女を残し、両親と長男の三人が突如として失踪した。現場からは夫と長男の血痕が発見されており、何者かによって暴力が行使されたことは明らかだった。野上の依頼は、遺された長女が今になって奇妙な証言を始めたというので、それの真贋を判断してもらいたいというものだった。しかし求められたコメントを送った後の野上の態度は異様だった。やがて、彼とは連絡が取れなくなってしまう。
ざわざわと胸を騒がせるような出だしである。さらにもう一つの問題が持ち上がる。高倉の妻が、隣家の住人である西野が中学生の娘を虐待している可能性に気付くのだ。それが本当であれば、見過ごすことはできない。だが高倉が事態の進展を睨んでいるうちに、決定的な出来事が起きてしまう。疑惑の人である西野によって、高倉の日常は一変させられてしまうのだ。
以上、第一章「隣人」の内容だけを簡単に紹介した。第二章以降「連鎖」「仮面」「血縁」「凶悪」「幻影」と章題が続いていくこの小説のあらすじ紹介は、以上に留めておいたほうが利口なようである。章が変わるごとに意外な思いを味わう、先行きの見えない構成がミステリーとしての第一の魅力だからだ。
キーワードは第一章の題名にある「隣人」。軒を接して暮らしている隣人の、真の顔を知っている人間は現在どのくらいいるものだろう。本書では、知らずに済めばよかったことを知ってしまったがゆえの事態が描かれる。覆いの下に少しだけ覗いているのが禍々しい化け物の皮膚だと知ったとき、あなたはそれをさらにめくってみるだろうか。それとも見なかったことにしてその場を立ち去るだろうか。おそらくはどちらも選ぶことができず、その場に立ち尽くし続けるのではないか。そうした吸引力のある謎の描き方が本書では採用されている。読者を否応なしにひきつけるこの技法は、新人離れしたものだ。
もう一つの魅力は、でろりと顔を出した非日常と日常が混ざり合った状態が描かれることだ。死体遺棄と蟹の例を思い出してもらいたい。非日常の世界に逃げ込めるのであれば、どんなに幸せであったことか。残酷にもこの作者は、読者をたびたび日常の側へと連れ戻す。そのことによって、二つを隔てる皮膜の境が、ごくごく薄いものであることを読者に認識させるのである。それが破ければ、いつでも日常は非日常によって侵食される。その感覚、まさにCREEPYである。不快極まりない。しかし、目を離すことのできない磁場がこの小説にはある。傑作じゃないか。