もっと「自分」のまま生きてもいいんだよ、とエールを送ってくれるような一冊

漫画家・ヤマザキマリさんがこのたび、自分の母親について語った本を出版されました。

題して『ヴィオラ母さん 私を育てた破天荒な母・リョウコ』です。

北海道に初めてできたオーケストラにヴィオラ奏者として入団するため、一時は実の両親からも絶縁されたリョウコさん。見知らぬ土地で母になり、未亡人になったリョウコさん。

娘2人を育てながら、音楽に身を捧げ、北海道、いや世界中を縦断する怒涛の日々は、笑いとエネルギーに満ちています。

前書きで、ヤマザキさんは「多様な悩みを抱えた昨今の日本の女性たちに役に立つかどうかはわからない」と述べていますが、筆者はむしろ、すがすがしいものを感じました。

妻という役割、母という役割、地域での役割など、気づけば自分が何を食べたいかさえ、わからなくなるほど他人軸に生きてしまうことも可能な現代のママたちに、もっと「自分」のまま生きてもいいんだよ、とエールを送ってくれるような一冊です。

表紙には、モノクローム写真のなかでヴィオラを手にしてほほ笑むリョウコさんが。リョウコさんという規格外なお母様の生き方と、それがヤマザキさんに与えた影響について、ヤマザキマリさんご本人にお話を伺いました。

“野生の馬のような”母だった

――前書きにお母様、リョウコさんのことを、“野生の馬のような”と書かれていたのが強烈でした。

ヤマザキマリさん(以下ヤマザキさん)「私も鼻息が荒いから馬子ってあだ名がついていましたけど、母はものすごい勢いのある人でしたね、体裁なんかいっさい構わなくて、世間からどう思われるかとかまったく気にしない、自然体の人でした」

――そのブレなさがすごいです。本当に野生動物みたいですよね。

忙しい、時間がない、だから子どもをかまえないので、おにぎりと置き手紙とおかずを買うお金を置いて音楽の仕事に出ていたリョウコさんですが、いわゆるほったらかしの放任という印象は受けません。

母の一生懸命な様子をみていたら、こっちもがんばらなきゃって

ヤマザキさん「放任ではないですよね。なぜかというと、いつも意識の片隅に私と妹がいて、彼女は私たちにものすごい信頼感を持っていましたから。私たちも、ほったらかしにされているからといって、だったら好きなことをやってやるって気持ちにはならなかったですね。

母の仕事にも家族にも一生懸命な様子をみていたら、こっちもがんばらなきゃって思っていました」

――それって絶対的な信頼ですよね。でも、子どもが欲しがるからキャラクターものを与えるとか、そういうことはまったくしてくれなかったそうですね。

ヤマザキさん「そういうことはまったくなかったですね。なにか欲しいと言うと、なぜ欲しいのかを問い詰められて、『それはみんなが欲しいって言っているからだけで、あなたの評価はどこにあるの?』とか、哲学の押し問答みたいになるんですよ。

で、最終的にはこちらが『じゃあもういいよ・・』って(笑)」

――あきらめるんですね(笑) それから、お弁当のエピソードも衝撃的です。蓋を開けたら、バターと砂糖を塗ったパンが入っていた・・

ヤマザキさん「パカッと開けて、パカッと閉じるんですけど、それを見ていた同級生がおかずを分けてくれたりして。それが一回や二回じゃないですからね。

で、お弁当はもう自分で作るから母は気にしないで、と伝えました。料理がさっぱりできない人だったから、それなりにがんばってあのお弁当なので、ちょっと気の毒でした(笑)」

――もはや諦観の域ですね。そこで“お母さんのバカー!”とはならなかったのでしょうか。

ヤマザキさん「ならないですよ。 戦時中と戦後に散々な目にあった母にとってバターと砂糖のパンは贅沢品でしたし、なにより弁当で愛情を表現する、というコンセプトが彼女にはないわけです。そういう価値観の人に一般論的な解釈で何か言っても始まらない。

もうすべてが他の家と違いすぎて、というか、出だしから比べるフォーマットが一切なかったんですよ。

学校からただいまーって帰っても、誰もいないのはやはりさみしいな、というのはありましたが、それすら、他の家と比べても仕方ないな、他の家のお母さんは音楽家ではないしコンサートとかないしな、と思っていました」

――それで、お弁当もご自分で作られるようになったのですか?

ヤマザキさん「ご飯が炊ければ、けっこう子どもでも作れますよ。当時すでに冷凍食品もありましたからね、おかずなんて二つくらいあれば十分です。

体裁なんか気にしているひまはないし、母が家にいないことやお弁当を作らないことを、不自然につくろうこともせず堂々としていましたね。

私は母には私の弁当で愛情表現をしてくれるよりも演奏活動でいきいきしていてほしかったし、私に読ませたい本を買ってきてくれたり、動物を拾ってきたり、それからたまに、私たちに学校を休ませてドライブに連れていってくれたのはもう最高に嬉しかった。弁当なんて二の次です(笑)

周りと違うことだって、こちらがこそこそしていなければ、誰もなにも言わない。『こういう家もあるんだな』と思われるくらいで」