母から受け継いだもの、反面教師にしたもの
――本に、リョウコさんはトラブルに見舞われても、笑い飛ばす能力があったとありましたが、それはヤマザキさんにも受け継がれているのでしょうか。
ヤマザキさん「母よりは笑わないですけどね(笑) 母はなんでも笑いに昇華するんです、すべてがおかしいこと、なんでも深刻になるほどのことはないと思っていたみたいです」
――深刻になると、たぶん別のドラマ、たとえば同じ北海道でも『北の国から』みたいになるんでしょうか。
ヤマザキさん「そういうシナプスがないですよね。人生おかしいなー、しっちゃかめっちゃかだなー、でもこの地球に同じタイミングで生きて、どれだけ楽しいことができるかなーっていうノリですからね」
――逆に、反面教師にしたところはありますか?
ヤマザキさん「自分がかぎっ子だったので、自分が幼い時に感じていた帰宅時のさびしさに関しては、うちの子どもは味わわなくてもいいかな、と思っていました。
私は漫画家だから家にいられたので、子どもが帰ってくる時間にはなるべく家にいようとしていましたね。
子どもの通学路がベランダから見える家に住んでいた頃は、遠くから帰ってくる息子に向かって、『おーい』って手を振ったりしていました。これは息子の方から、『恥ずかしいからやめてほしい』と言われましたが(笑)」
反抗しようにも反抗しようがなかった思春期
――ヤマザキさんは、保育園の頃から、泣いている他の子どもを慰めたりするようなしっかりしたお子さんだったそうですが、その後の思春期に、いわゆる反抗期というのはなかったのでしょうか。
ヤマザキさん「反抗期ですか?・・大きな反抗期というのはなかった気がします。バイオリンのレッスンが嫌で、投げて壊したことはありますが。ものすごく強烈に怒ったことはないかもしれません。なぜかというと、押しつけてくることがなにもないし、私がやることに文句もつけてこないから。
高校時代に私がパンク系音楽にハマっていた時は音楽を聴くための夜遊びは許してくれていたし、補導されたときも警察の派出所にやってきて『あ、うちは許してるんでいいんです』って(笑)。
そのあと私には『あんた、もうつかまらないようにしなさいよ、面倒臭いから』って言われました」
――ダメと言われたことがないと書かれていましたよね。たとえば、学校に行きたくないと言った時・・
ヤマザキさん「最初は私も怒られるかな、と思いながら言ってみたのですが、へえ、じゃあ休めば?と言われた時の肩透かし感。無理して行っても仕方ないよ、電話しておくからって言われて、そうなるとむしろ罪悪感が出てきて、もうずる休みはやめようと思ったりして。
逆に、母が私たちを野外コンサートに連れていきたい場合などは、学校に電話して休ませていましたね。海外への演奏旅行などで母がいない時も、学校は休んで知り合いの家に預けられていました」
――そういうことに対して、どう思っていましたか?
ヤマザキさん「まあ、寂しいは寂しいですし、他所様の家に預けられているのも辛いですよね。
だけど、母の仕事を恨んだりすることは一抹もなかったです。むしろ、音楽を辞めてほしくないなと。音楽は母を支える絶対的に不可欠のものだっていうのがわかっていたし、私も音楽という芸術には大きなリスペクトを持っていましたから。
それと、私たちは母から信頼されているんだな、という感覚がありましたね。母の不在が多いために私がグレて不良になってしまうんじゃないかとは、これっぽっちも思ってないんだなって(笑)。
家族だからって一緒にいなくてもいい
ただ、私はわりと早い時期に、この家を出ることになるだろうなとは思っていましたね」
――何歳くらいからですか?
ヤマザキさん「小学高学年ですね。母が家を建てた時にあれこれ欠陥だらけで文句を言ってたら、『だってここはママの家だし、あんたたちはさっさと行きたい所へ行って自分たちの好きな家で暮らせばいいじゃないの』って、母も私たちに言ってたので」
――それを聞いて、さみしくはなかったのでしょうか。
ヤマザキさん「それはないですね。母は北海道に来たことで彼女の実家から勘当されていて、その後和解はするのですが、それを見てきているので、小さいうちから、家族であってもそれぞれ自分たちで生きて行くのは当然なんだと思っていました。
家族だからって一緒にいなくてもいい。離れていても家族という関係はずっと続くし、愛情も届く。それだけは子どもの頃から感じ続けています。
実際、今、私の家族も全員、一家離散状態ですが、子どもには好きなことをやってほしいし、こっちもやることはありますし、さみしいとかはないです。血は繋がっていても、それぞれの人生ですからね。年に3回くらいは会ってますけど、それで十分」
――子離れがなかなかできない人もいますが、まったくそういうことはなかったのですね。
ヤマザキさん「私も自分の仕事が忙しかったし、息子も気がついたらハワイ(の大学)にいたという感じでした(笑)」