親子というより、共同体

――大人になってからのリョウコさんとの関係はどんな感じだったのでしょうか。

ヤマザキさん「私が17歳でイタリアに行ってからは、完全に独立した関係になりました。母も私が大変そうな暮らしをしているのを見てもあえて干渉しない。あんたの人生だから、って言い切ってました。でも財政上、本当に大変な時は助けてくれましたけどね」

――世の中には大人になって親子の関係を断つというケースもありますが、そうはならなかったのですね。

ヤマザキさん「関係を断つなんて有り得ないです。傍から見れば離れている時間が多い家族かもしれませんが、だからこそお互いのことを常に考えていたという感覚があります。

それぞれの人生を精一杯生きている中で、本当に会いたい時にはもちろん会うし、助けてほしいときは素直にそれを伝える、という感じですね。

子どもの頃、母が『ふつうの母親』としての振る舞いを意識しようとしたこともあったけれど、私自身は不自然だと思ったし、やめてほしかった。

母には余計なことを考えずにリョウコという人間を存分に生きてほしいと思っていました、人生の先輩として、世界は楽しいんだ、っていう見本を全身全霊でやっていて、と。その方が見ていても楽しいし面白い。

そして、何より人生の先輩のあり方として、心底から安心する。笑ったり失敗したり懸命になったりしている母を見ながら、実は母親の立場は私のほうなんじゃないか、と思うことすらありました。

私と妹は子どもだけど、彼女をじっと見守っていた立場だったのかもしれないなって」

――捨て犬を拾ってきたのは、リョウコさんの方だったそうですね。

ヤマザキさん「そうですよ! 私と妹の方が『戻してきなよ』と言うと、『戻せるわけないわよ、こんな可愛い犬…。家族から離れてひとりぽっちなのよ?そんなこと言うのなら、じゃあ、あんたが捨ててきなさい!』・・・一同シーン、みたいな」

――立場が逆ですね(笑)

ヤマザキさん「で、飼うしかないか、となるんです。母は動物大好きなので、私が鳥のヒナを拾ってきた時も『こうなったらもう育てるしかない。餌を調達しないと!』って大変な騒ぎになる。カメラを持ってきてピヨピヨ餌をねだる小鳥の写真をカシャカシャカシャーって撮って。

そんな風に動物たちに愛情を感じて守ろうとしている姿越しに、彼女の本質的な母性を感じましたね」

――ピュアな方ですよね。

ヤマザキさん「ピュア過ぎて、こっちが心配になるくらいです。でもそういうところに、母の温かさや深さが垣間見えて、いいなあと思ってもいました。

でもそんなピュア過ぎる母ですから、世の中全員いい人に見えてしまうという難点はあります。変なセールスにもことごとく引っかかってきていますから、母は(笑)。でもある意味、幸せですよね、周りに良い人しかいない人生なんてそう誰でも感じられることじゃない」

――リョウコさんの目には、世界も違って見えていたのでしょうね。

ヤマザキさん「些細な事でもすごく感動しますからね。ちょっと虹がかかっただけで、『見てごらん、なんてきれいなのかしら。地球って凄いわねえ、生きててよかったわねえ』って。

どんなことにでも、いちいち情感たっぷりに地球レベルで感動するんですよ(笑)」

私を子ども扱いしない振る舞いからも、強い信頼と愛情を感じていた

――そういうところはヤマザキさんにはないのですか?

ヤマザキさん「いや、受け継いでいますよ(笑) 。青空の下を歩いているだけで、『地球っていう惑星はすばらしい!』って思うことはしょっちゅうです。生きるのは大変だけど、大気圏で息ができて、色彩に感動できて、食べ物が美味しいと思えて最高じゃん!って(笑)」

愛情の伝え方は人それぞれでフォーマットなんてない

ヤマザキさん「母の子育ては距離もあるし、一般的な母親的愛情表現も滅多にない。お弁当も下手くそ。

だけど、大人になったら誰もが感じるであろう生きることの難しさや辛ささえもリョウコは、『大丈夫、なんだかんだで生きてるって楽しいから!』と体を張って見せてくれていた。それがもう、私たちにかけがえのない安心感を与えてくれたし、愛情でした。

子どもの頃、忙しい朝の時間、リョウコは私に自分が読んでいる新聞記事を差し出しては『これどう思う? お母さんはおかしいと思うのよ』とよく語りかけてきました。私を子ども扱いしない振る舞いからも、私は彼女からの強い信頼と愛情を感じていました。

愛情の伝え方は人それぞれです。私も子どもが小さかった頃は、イタリア式に1日何度も『あなたは私の宝物よ!! お星様よ!!』と言いながら息子を抱き締めていたこともありましたけど、今は息子への態度が素っ気なさ過ぎると周りから『ずいぶん冷たい親だな』なんて言われます(笑)。

でも、息子は私がどれだけ彼を信じていて、どんなに大切に思っているかを確実にわかっている。だから、彼は私たち家族と遠く離れた場所にいても、こちらを気にせず毅然と前を向いて自由に生きていられるわけです。

何度も言いますが、愛情の伝え方は人それぞれでフォーマットなんてありません。肝心なのは、相手に確実に愛情が伝わっているかどうかだと思います」

――リョウコさんという女性の、甘えのない、大きな愛を感じますね。今日はお話、どうもありがとうございました。

【取材協力】ヤマザキマリ

1967年東京都生まれ、北海道育ち。84年に17歳でイタリア に渡り、油絵と美術史を学ぶ。97年漫画家デビュー。その後、 結婚を機にシリア、ポルトガル、シカゴへ移住。 現在は日本と北イタリアで暮らす。
2010年『テルマエ・ ロマエ』で第3回マンガ大賞を受賞。17年イタリア共和国星勲章 コメンダトーレ綬章。著書多数。