「サブカル」の意味って…?
——作品内では、いわゆる「サブカル趣味」を持つ彼のコミュニティに顔を出すようになったことで、苦悩する姿が描かれていますが、アラ子さん自身はサブカルに興味があったのですか?
と:どうでしょう? 興味があったような気もするし、なかったような気もします。でも「サブカル」ってとても曖昧な言葉じゃないですか。特に定義もないし。しかも、この数年で使われ方がどんどん変わってきている気がしませんか? だから、「サブカル」という言葉はこの作品の中では使わないようにしたんです。
どうしても使いたくなるシーンは何度もありましたが、グッと我慢して。生半可な気持ちで使ったら「勝手にカテゴライズするな!」と怒られそうなイメージがあったんですよね。本当にただのイメージですけど。
ところが、この本を「サブカルの世界を描いた漫画」と紹介いただく機会があったりして、「あれ? 使っても良かったのかな?」と、今は思ったりしています。ムダな努力だったかもしれないと……。
だけど、やはり人を趣味や思考でカテゴライズするのは難しいことだと思います。この作品の中に出てくる「るりるりちゃん」みたいに、もう「サブカル女子」とか形容できないという感じの人は本当に稀な存在で、世の中は、サブカルとメインカルチャーも好きだという層がほとんどを占めているんじゃないですかね。
私も伊集院光さんのラジオを聞いたり、みうらじゅんさんの本を読んだりはしていたので、すごく大きな意味で言うと、元からサブカル女子だったのかなぁと思います。
でも、サブカル的な著名人の人脈的な繫がりには全く興味はなかったんです。これは漫画の中にも描いたことですが、二つの作品に共通点はないのにファン層がかぶっているのが、以前の私にはどうしても理解できなくて。この映画監督さんとこの漫画家さんは仲が良いと知っている、そうやって興味がどんどんわいて人が繫がっていくということは一度も経験がなくて。
この映画が好きな人はこの漫画も好きというように、横で作家自身やファンも繫がっていることってあるじゃないですか。よく、サブカル系のイベントが行われるロフトプラスワンにも行ったことはありましたが、他の日にどんなイベントをやっているのか気にしたことはありませんでした。でも、そういうところまでガッツリとアンテナを張っている人を見ると、「サブカル男子!」とか「サブカル女子!」と思いますね。サブカル=情報感度の高い人という定義が私の中にあるのかもしれないですね。
——なるほど、そう考えると一口に「これが好きな人はみんなサブカル」とは言えませんね。
興味のないCDのレビューブログを始めた理由
——アラ子さんは、彼のCDをひたすら聴いてブログにレビューを書いたということですが、音楽は元々好きだったのですか?
と:好きな曲はあるし、カラオケにも行きます。中学生の時は『うたばん』や『HEY! HEY! HEY!』などの歌番組は必ず録画して見ていました。
でも、歌が始まると早送りをして、トークのみを見ていたんです。歌は歌手の人のプロモーションでCMと同じ感覚で、見ないのが普通と思っていたんですよ。その話を学校でしたら、「みんな歌が聴きたくて見ているんだよ」と驚かれたとき、自分はあまり音楽が好きではないのかなと初めて気付きました。
——えっ、歌番組は歌がメインですよね……!? しかし、興味のない音楽を聴き続けてレビューを書くのは苦痛ではありませんでしたか?
と:私、記録をすることが大好きな記録魔なんです。ブログを始める前は「食べログ」の更新に熱意を燃やしていて、100件以上食べ歩きをしていました。でも、食べることや文章を書くことが好きなわけではなく、ただ記録をするのが好きなだけなので、レビューをするのが正直めんどうで。
当時、食べログはレビューが200字以上でないと投稿がサイトに反映できないな仕様だったんです。だから私は「おいしかったです」といった一言の感想の後、☆や♪などの記号で文字数を埋めて投稿していました。でも、それを恋人や友達に「店側にも失礼だし、利用規約にも反していそうだからやめろ」と怒られて……。
私、自分のルールを決めて苦痛に耐えるのが好きなんです。苦痛に耐えた後の達成感を味わいたくて。マラソンや登山のような感覚に近いのかもしれません。それで、食べログを辞めた後は、彼のCDを聴いてブログに記し始めました。はじめは自分のためにやっていたブログですが、人が見たらおもしろいのでは? と思い始めて……。
私の友達はみんな音楽が好きなので、私があまりにも音楽に興味ないのをよくバカにされていたんです。
食べログをやっていたときも、私の文章力があまりにもないのを、恋人や友達は影で読んで笑っていたらしいんです。でも、知識のない私が真剣に書いている文章をおもしろく感じる人もいるのだと手応えがあり、自分のブログを音楽好きの人が見たらそこそこおもしろいのではないかという意識はありましたね。