結成から8年。4年ぶりとなるドキュメンタリー映画の第2弾
結成から8年。いまや日本を代表するアイドルグループへと成長した乃木坂46。
そんな彼女たちの素顔に迫った、『悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46』(2015年公開)以来4年ぶりとなるドキュメンタリー映画の第2弾が完成した。
『いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46』というタイトルを掲げた本作は、2017年から2019年の活動に、2018年9月、22枚目となるシングル「帰り道は遠回りしたくなる」の選抜発表の場で、エース・西野七瀬が自身の“卒業”を発表するところをひとつの核として迫っている。
だが、スクリーンに映し出されるのは、自分の夢を形にするために乃木坂を離れる西野の姿だけではなく、彼女と対比するようにクローズアップされる、グループに留まるほかのメンバーたちの複雑な想いだ。
乃木坂46とは果たしてどんな場所なのか?
2018年4月の生駒里奈に続くエースの卒業をきっかけに、乃木坂46にいる自分を見つめ直す少女たちの苦悩や葛藤がリアルに浮かび上がるが、中でも脳裏に深く焼きつくのは過去から逃げるように2012年にグループに入った1期生の齋藤飛鳥と2016年の加入時には「オーディションにたまたま受かっただけだし、『可愛いことをして』と言われても難しい」と言っていた3期生の与田結希の姿。
彼女たちにとって乃木坂46とは果たしてどんな場所なのか? 加入した時期もパーソナルも違う齋藤と与田の言葉から、巨大化したアイドルグループのひとつの真実が見えてくるに違いない。
ふたりの言葉にそっと耳を傾けてみよう。
映画は2018年に開催された史上初となる神宮球場と秩父宮ラグビー場の2会場同時ライブ、偉業を達成した20枚目のシングル「シンクロニシティ」での日本レコード大賞連覇の裏側に迫りながら、メガホンをとった岩下力が「こんなに仲のいい集団は見たことがない」という乃木坂46の素顔を浮き彫りにしていく。
メンバーがひとりひとり乃木坂に対する自分の想いを赤裸々に語り始めるのだが……。
齋藤 映画を観終わっていちばん最初に思ったのは、私はメンバーのことをあまり知らなかったんだなということでした。
今回のドキュメンタリーで“卒業”に対するみんなの想いや、グループのいまの状況をみんながどういう風に見ているのかが分かって。
メンバーとそういう話をすることが私はなかったので、あっ、こんなことを喋ってくれるんだ?って当時者の私でも驚きました。
与田 私は前作の『悲しみの忘れ方…』を、内側のことをまだ知らない加入前に観て乃木坂46を好きになりました。
今回は自分もメンバーのひとりとして内側にいたので、見方は変わりましたが、あのときの気持ちをすごく思い出しましたね。
自分の想いを言葉にするほかのメンバーと違って、ふたりは言葉少なく、グループをどこか傍観しているようにも見える。
それこそ「西野さんは憧れの存在。芯があるし、カッコいい。ただただ好きでした」と言って素直に涙する与田は、ファンの女の子たちとあまり変わらない。インタビュー当日も「朝、今回の作品を見直したらまた泣いちゃって」と素直に告白した。
試写のときもずっと泣いていたよね(笑)
齋藤 試写のときもずっと泣いていたよね(笑)。
与田 そうなんですよ。観たときも泣いていたけど、映画の中でもずっと泣いているから、“こんなに泣いていたんだ!?”って自分でもビックリして(笑)。
(2018年12月の上海公演で)「シンクロニシティ」のセンターを決めるところでも“私、こんなにマヌケな顔をしていたんだ?”と思ったし(笑)、客観的に見たときにはちょっと痒さも感じながら、自分はこんな感じの人なんだなっていうことを知りました。
齋藤のスタンスはもっと異彩を放っている。
コンサートやテレビ収録の合間の時間、メンバーたちが楽しそうにくつろいでいる楽屋をそっと離れ、彼女は別の場所でひとりで過ごしていることが多い。
乃木坂46に入ったのも、過去の自分と決別したかったから?
齋藤 映画ではほかのメンバーが“卒業”について語っていたけれど、私には別にそういうシーンがなかったし、実際、“卒業”についてあまり深く考えたことがなかったんですよね。
だから、同じ1期生とは考えや気持ちを共有してきたつもりだったけれど、みんなの話を聞きながら、年上のお姉さんメンバーはやっぱりちょっと先を歩いているんだなと思ったし、意外とみんな、現実をシビアに考えていることが分かって。
私は頭で考えるタイプの人間だと思っていたけれど、もっと考えなきゃいけないということを気づかされました。
ファンの方なら周知の通り、地元にいたころの齋藤は学校にはほとんど通わず、友だちらしい友だちもいなかった。
乃木坂46に入ったのも、そんな過去の自分と決別したかったからなのかもしれない。それだけに彼女が地元の成人式と中学の同窓会に参加するシーンは強烈な印象を残す。
カメラは成人式や同窓会に参加した齋藤の戸惑いや心の揺らぎを伝え、居心地が悪そうにしながら、なんとかそこに踏み止まっている彼女の姿をとらえるため、観ている私たちの心もザワザワする。
齋藤 地元の成人式には参加するつもりはなかったんですけど、親孝行だと聞いたので行ってみようかなとは思っていたんです。
同窓会にも参加しましたが、なかなか勇気が出なくて、「どうしよう、どうしよう」って言っていたら、今回のドキュメンタリーのカメラが密着するという話になって。
カメラが回っているとあまりほかの人たちが私に近づかないような気がして逆に有り難いなと思ったんですけど、先生も意外にぐいぐい来られていたし、映画のスタッフさんが近くにいたけれど、あんなに野放しの状態で一人でポンと入って、乾杯なんかをした経験がまったくなかったし、これからもないと思うので、すごくいい経験をしたなと思って。
同窓会ってこういうものなのかっていうことも分かったし、それなりに楽しかったですね。
映画の中では、齋藤本人が本人にとってはとても勇気のいるその大きな“儀式”を乗り越えた後で、「苦手だった(昔の)自分と少しは仲直りできただろうか」と述懐している。
齋藤 学校自体がもともとそんなに得意じゃなかったし、乃木坂に加入してからはひとりで暮らして、地元にも帰らず、実家にも行かず、友だち全然いなかったんですけど、私はそれでいいやと思っていたんです。
でも、どこかでモヤモヤしていたし、ちゃんと区切りをつけたいなという気持ちはあったので久々に帰って、みんなに挨拶をしたんですよね。そしたら、「応援しているよ」って声をかけてもらって。
う~ん、だから、そうですね。“仲直り”と言えるのかどうかは分からないけど、いまの私が地元に帰ったから、昔の自分や当時の環境も悪くなかったのかもなと思えたのは確かで。
それは今回、こうやって帰らなかったら分からなかった感情だし、それが味わえたのはよかったなと思っています。
そこには、ずっともがき続けてきたひとりの女性が、自分のやり方で見えない壁や殻を打ち破ろうとする姿、剥き出しの感情、その果てのひとつの成果がくっきりと刻まれている。