好感度が上がって16bit風へ。これなら愛せる?
成海ちゃんは ついに 8bitファミコン風から 16bitスーパーファミコン風に 進化 したぞ!
好感度が上がるであろう選択肢を意図的に選んでいくと、すぐに解像度は増していきました。このあたりではじめてポニテキャラなのだと気が付きます。ポニテフリークな僕はひとり感激の拳を天へと突き上げました。
主人公もまた■だったころからは比べ物にならないほど、ヒロインへの感情を膨らませてきます。進化したとはいえまだまだ16bit風な女の子に対してかわいいなぁという感情を抱くあたり、主人公の素質の高さを感じました。
そしてイベントが進むたびに、次の絵は…? 次の絵こそは高解像度に…!とグラフィックの進化を願うのですが、何度かそれは裏切られることになります。立ち絵はともかく、イベントグラフィックならば…と僅かな可能性に願いをかけてみるものの、圧倒的な平面感に何度か打ちのめされることでしょう。
しかし、諦めてはいけません。
諦めることなくアプローチを続ければ!
彼女たちとの関係を築いていければ、必ず最後に報われる!解像度の高まった本来の美少女の姿をお目にかかれるはず。そう信じて何度目かの変化が起きた時、そこには…!
はい、ついに最終形態までたどり着くことができました。これが彼女です。僕の彼女は高解像度です!やったーーー!!
恋のスタート地点はどこにあるのか?
今回プレイしたゲーム「どとこい」は、「美少女の解像度をあげる」というゲーム・グラフィックの歴史を振りかえるようなアイディアがシステム化され、それがしっかりとゲームの中で展開されています。そこが「面白い」とネットユーザーを中心に大きな話題となりました。
確かに、愛の深さはグラフィックではありません。そのキャラクターを気に入れば。それが、どんな姿であろうと、たとえ■や8bitのピコピコとした見た目だとしてても愛情を注ぐことができるはずです。
テレビゲームやパソコンゲームの黎明期ではそれが当たり前で、僕らはそんな低解像度なキャラクターたちを愛で、足りないグラフィックは脳内で補完して、時には自分なりのアレンジを加えて。それをスケッチブックや薄い本へとアウトプットしたりといったトレーニングをこなしてきました。たとえそれがドットの集合体だったとしても、胸を張って「これは僕の嫁です」と言えたのです。
「いやぁ〜、やっぱり愛の深さは解像度じゃないですね!」なんて思ってみたのですが……。ひょっとしたら?という疑問が同時に産まれました。果たしてこれは二次元に限った話なのだろうか?と。
二次元でも三次元でも。そこにどんな前提があろうとも、興味が無い相手はそれはただの■と同じです。そこから関係を築き、育て、相手への思いを募らせる。こういったことを繰り返すことで、彼女たちがより愛おしいものに見えてくるのではないでしょうか。
そう、恋の始まりは誰もが低解像度なのです。
「どとこい」はユニークなシナリオの中で、そんな恋のスタート地点に気づかせてくれました。恋に飢えている方、ドットでも愛せるぜという8bit世代を駆け抜けた方、俺はこの際■でも構わないという上級者の方。さまざまな世代の方にプレイしてほしいゲームです。