挿入される語りはもう一つある。クーパーを倒しに行った兵士の話だ。トムによると、クーパーとは巨大な杉の木だという。だが普通の杉ではない。クーパーは歩き回り、時には町を破壊してしまうこともあるのだ。それを阻止するために、トムのいた町からは定期的に兵隊を派遣し、クーパーを退治していた。クーパーは滅びるときに体内から水を噴出する。その水がかかった兵士は透明になってしまうのだ。そうやって送り出された兵士たちは、ほとんどの場合町に戻ってこれなかった。
鉄国の兵隊が町を占領したとき、不思議なことが起きた。馬が一頭、乗り手もいないのに町へと駆け込んできたのだ。占領された町の住人たちは、もしかすると透明になったクーパーの兵士が町を救うために戻ってきたのではないかと希望を抱く。もはやそうしたお伽噺のような可能性にすがる以外、頼れるものは他になかったのだ。ただ猫たちだけが、事の真相を知っている。人には見えないものを見て聞こえないものを聞くことができる猫たちだけが。
このように不思議な物語が綴られている。現実と地続きであることは確かであるものの、少しだけ自分たちがいる平面からは浮き上がった世界の話を描くとき、伊坂の筆致は大いに生彩を放つのである。これは「こわい話」でもある。突如として現れた兵士によって、ひとびとの暮らしが踏みにじられる話だからだ。事態は絶望的である。伊坂は読者がこわがり過ぎないように細心の注意を払ってその状況を描いている。でもそういうことはあるんだよ、僕たちの暮らしは、こうやって突然破壊されることもあるんだ、と囁きながら。
こわいけどその先を知りたくてつい読んでしまう小説、ということになるのだろう。ミステリー作家としての伊坂幸太郎が好きな方には嬉しいプレゼントもある。展開の妙味によって読者を物語の中にすくい取り、心躍る気持ちにさせて帰すというおもてなしが、作者によってきちんと準備されている。訥々と語る調子であるためについ忘れそうになるが、伊坂幸太郎の小説はいつも実に荒ぶっている。穏やかな表面の下に、渦を巻く情念を画している。心地良い手触りの下で、熱いものが脈動している。いつも研ぎ澄まされている。
伊坂はあとがきでかつて夢中になって呼んだある小説を紹介し(書名は本文を読み終えたあとに見てもらいたい)、こう書いている。「振り落とされないためにしがみつくようにして、必死に読み進めた読書体験」と。同じ言葉を「夜の国のクーパー」にも贈りたい。猛スピードで進んでいく船のへさきにつかまり、迫り来る水平線の向こうを凝視するような気持ちで私はこの本を読みました。はやりたつ気持ちを必死に抑えながら、読んだんだ。