映画『大奥~永遠~[右衛門佐・綱吉篇]』 2012年12月22日(土)丸の内ピカデリーほか全国ロードショー
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半笑いの貴公子――田中誠は、
連続ドラマにおける堺雅人について、そのように形容した [https://ure.pia.co.jp/articles/-/6722]
では、映画における堺雅人は、いかなる像を結ぶのか。

基本的にキャラクターをひとつの定型として規定することで作品にストリームを生み出すことが演技者に求められるドラマと、登場人物が流動体として規定された物語のなかを泳ぎきることを必要とされる映画とでは、自ずと俳優の表現も違ってくる。そもそも1クールで語り継がれていくドラマと、2時間程度でとりあえずの終幕が訪れる映画とでは、フォーマットそのものがまるで異なる。

一見、堺雅人の芝居は、ドラマにおいても映画においても均質に映るが、その位相は別の局面を見せている。もちろん単純に比較はできないが、映画ではドラマよりも、より求心的な演技になっていると言えるかもしれない。もっと言ってしまえば、より局部的ーードラマの堺雅人が「半笑い」の表情で作品をくるんでいるとすれば、映画の堺雅人は「半開き」の唇によって観客を惹きつけている。

発声そのもので観る者に注視をうながす類稀なる俳優である堺雅人は、実は声を発する直前の唇の風情によって、わたしたちのまなざしを捉えて離さない状態に陥れている。ひとまず、それを「罠」と呼んでみたい。