公共空間に置かれる作品の場合、難しいと思うこと
——そもそも、美術館やコンサートホールのような純粋な鑑賞のための場所ではない空間で、この作品を見る人にどのくらいの能動性を期待するのかも、難しい問題だと感じます。
勅使河原:単純に、この場所を訪れる多くの人は、この映像や音が誰のものかということを、とくには気にしないと思うんですよね(笑)。
三浦:そうそう(笑)。たぶん誰も気にしていないよね。
勅使河原:わざわざこのために来る人は少ない。
しかも、今日(取材日)のように大雨が降っていたり、日光が強かったりすれば、その環境によっても作品の見え方は変わってきてしまう。
時間体験にしても、5分の作品の真ん中あたりの10秒しか見ないかもしれない。
そういう意味で、見る人がどのタイミングでこの場を離脱しても、あるいはその日の天候や環境がどんなものであっても構わないと思って作っていました。
——もうひとつ、公共空間に置かれる作品の場合、難しいと思うのは、街から浮き過ぎていても作品に親しんでもらえないし、逆に馴染み過ぎていてもただ通り過ぎられてしまうということ。
そのあたりの、周辺環境と作品が与えるべき異質な経験の関係に関してはどう考えていますか?
三浦:音楽については、今回は公共の場所なので、そもそも不快な音を付ける提案は通らないだろうなと思っていました。
ただ、普通に商業的な音楽を付けても、モーションコリドーの求めるアート性には届かない。
その意味で、ポップスに寄り過ぎず、かつ聞いていて不安にならないバランスを最後まで考えましたね。
音の快/不快って複雑な問題で、たとえばタイ料理に慣れていない人にとって、パクチーは抵抗があると思うんですね。
でも、日本人は大葉のような癖のある植物も食べていて、じつはただ慣れの問題でもあるわけです。
音楽で言えば、このアリーナに訪れる多くの人にとっては、風や信号機の音のような環境音は「音楽」ではないノイズかもしれない。
でも、そうした音を音楽だと捉える人もいるわけですよ。それをどう溶け込ませるか、という視点が重要で。
勅使河原:三浦さんの音楽って、ポップなんだけど、個人的には電話の受話器の向こうから流れてくる音に近いイメージもあって。ラジカセとか、劣化したテープの音のような印象なんです。
三浦 : 何かが「足りていない」んだよね。完成されていない感じ。
さっきテッシーが話した天候による作品体験の変化も含めて、普段、普通のポップスに親しんでいる人にとっては、何かいつもとは違う音の体験ができて、一方でノイズも含めて音楽として楽しめる人にとっては、やろうと思えば豊かな音の探究ができる。
そういう環境を作ることが重要だったと思います。
春日:音に関しては、三浦さんに付き合ってもらい、バスキュールのラウンジに柱に見立てた8つの出力口を作って、人が移動による音の聞こえ方をさまざまに実験もしました。
ただ、実際に現場に立ってみると、柱と柱の間隔も広いし、車の音など周囲の環境音がけっこう聞こえることがわかった。
そこで、自然の音だけではなく、映像で言えば「アイキャッチ」に当たるような、耳に残る、三浦さんがいま言われたような一種の違和感のある音を入れる調整などもしていただいています。
おそらくここを通る人の多くは、ただ通り過ぎるか、列に並びながらスマホを見ていると思うんですね。そんな人が、ふと気になってしまう音があるといいなと思っていました。
——現場を見たうえでの調整もかなりされたのですね。追求するとキリがなさそうですが……。
三浦:そのバランスは、自分で考えていてもキリがなくて、ある意味、締め切りで切断されるものでもあると思うんです(笑)。
その点、テッシーと、完成までは欲深く足掻くけど、最後は「この作品をこう体験してほしい」という欲を捨てるという姿勢を共有できたことは大きかったですね。
勅使河原:ちょっと制作への向き合い方が似ている気がしましたよね。
三浦:似ていたと思うよ。締切を優先するところとか(笑)。
勅使河原:こう体験して欲しいなんて欲があると、見る側からすると作品越しに作家の存在を感じてしまい、ちょっと暑苦しい気がしちゃうというか。見る側にばれなきゃ良いんでしょうね。
作家や作品は鑑賞者に背中を向けていて、鑑賞者はその背中越しに作品の行く先を見ているような関係にしたい。
三浦:お膳立てしてくるものが嫌だってことでしょ?
勅使河原:そうですね。たとえば子供が「パパ、パパ」とこっちに来ているときよりも、おもちゃに夢中になって一人で遊んでいるのを眺めるほうが楽しい。
作品の体験も同じようであって欲しい。ただ、すごく見て欲しいとも思うんです。
すごく伝えたいとも思うから、それこそ大人を引き込む子供のように引力めいたものを作品に持てたら良いかな。
今回の制作を通して感じられた、パブリックアートの可能性
——春日さんと平野さんは、制作過程で印象的だったことは何ですか?
春日:僕は、制作中の勅使河原さんの悩みっぷりですね(笑)。
頻繁に連絡をいただいて、真剣に答えていると、今度は数時間後に「僕が話したことはすべて忘れてください」との返事が送られてきたり……。
制作への入り込み方がすごいなと思いました。
勅使河原:一緒に仕事をするからには身内のようなものなので、自分の考えてることをだだ漏れにしてたんです。
そうして人に伝えると伝えた直後に何故か「これだめじゃん!」となることが多いんですよ。
つまり僕の場合、人に伝えると良し悪しがわかる。そんなことを繰り返していたので、途中から皆、全く返事をくれなくなってました。
平野:僕も、勅使河原さんが悩みをSNSに投稿しているのを見ながら、「頑張ってください!」と祈っていました(笑)。
正直、制作途中では完成像があまり見えていなかったのですが、出来上がったものを見たら異なる8種類の映像があり、「おぉ、すごい!」と。
ひとつを見るとほかも見たくなるし、ひとつの画面の上下でも微妙に感覚が異なる。単純に楽しい体験でした。
勅使河原:見てたんですか!(笑)。でもそういうの嬉しいですね。
たしかに制作中、ぽろぽろと出来たての絵のキャプチャーをSNSに漏らしたりしてました。振り返ると、気持ちが軽くなるものを作りたかったんだと思います。
制作当時は新型コロナウイルスの騒動前でしたが、力が抜けるようなもの、心が明るくなるようポップさを持つ質感を思い描いてました。
——最後に、実際に空間に作品をインストールしてみた印象や、今回の制作を通して感じられたパブリックな場所におけるアートの可能性などあれば、教えてください。
三浦:当たり前ですけど、本当に天気や風向き、通行量によっても、作品の見え方、聞こえ方は変わりますよね。
でも、人は、背景や周囲にどんな情報が来ても、作品とその情報の関連性を見出してしまうと思うんです。
その意味で、僕がいくら「こうしたらよかった」と思っても、瞬間ごとにどんな風に作品が受け取られるかわからない。それが公共の場の面白さかな、と。
逆に言うと、いわゆる「グローバリズム」の音楽って、そういう見る人の個人差や土地の違いを無いものにして、すべての人に同じような体験を与えられると考える。
それはたしかに経済効率はいいんだけど、どうしても単純になってしまうし、アートとは真逆なところがありますよね。
勅使河原:グローバリズムに対するような独特なものって見る人と距離があったりする。
その距離の分だけ、見る人の受け取り方にその人なりの解釈が様々に入り込んで、作品体験が濃密なものになるのかもしれない。
インストールしてみて思ったのは、今回は「完パケ」(完全に仕上げた状態)の映像としてお渡ししましたが、デジタルサイネージという媒体を考えたとき、今後はプログラミングが動作するアプリケーションの状態で渡せると嬉しいです。
完パケって決めなきゃいけないでしょう。
これでいく!って。僕はあれが苦手というのもあるんですが、プログラミングで動作する柔らかな映像のまま完成品としたい。
春日:そういうことが可能になると、天気や風、周囲の音に映像が反応したり、もっと大きく電車や港の船の状態で作品が変化したり、より有機的な表現できますね。
店舗などのサイネージで購入者のデータによって常に変化するようなものはすでにあるので、モーションコリドーでもいずれはそうしたインタラクティブな取り組みができるといいなと思います。
広告などとは違う、純粋なアートを追求できる場所に育てていきたい
——いま、公共の場所に作品を置くとなると、安全な作品、誰にとっても心地よいわかりやすく無難な作品が選択されるような風潮があると思いますが、モーションコリドーが挑戦や失敗も許容するような実験的な場所として育っていくと面白いですね。
勅使河原:納品後にモーションコリドーが完成し、僕自身ようやくその全貌、画面の見え方や音の聴こえ方、場の雰囲気を知ることが出来ました。
今だったらああしてたこうしてた、なんてことが沢山あります。つまり今から先、この場所で生まれる作品は、僕含め今回のプロジェクトに参加した作家の作品とは別物になるんじゃないかって思うんです。
三浦:リアクションの数は、お金に換算しやすいし、多くの人が共有しやすいからね。どれだけの人が訪れたとか、どれだけの人が呟いたとか、数の論理になってしまいがち。
でも、それしか基準がないというのが、アートの本来の価値からもっとも離れている状態だと思う。
勅使河原:そうですね。作品というのは「違う世界」が垣間見えればOKだと思っていて。そういうものが、日常生活に溶け込みながらチラリと見えてしまうのが、公共空間に置かれた作品の面白さだと思います。
その作品を見たことで、一日が少しだけ豊かになったり、気持ちに変化が起きたりするかもしれない。
春日:最初にも話しましたが、この場所は若いアーティストが目指す、登竜門のような場所になってほしいと思っています。
今回のような取り組みを、5年、10年と積み重ねていくなかで、広告などとは違う純粋なアートを追求できる場所に育てていくことができたら、と思います。
Qubibi/勅使河原一雅 KAZUMASA TESHIGAWARA
1977年東京生まれ。アーティスト、映像作家。2006年よりQubibiとして活動開始。近年での主な活動に個展 Qubibi Exhibition (MuDA/チューリッヒ)、音のアーキテクチャ展 (21_21 DESIGN SIGHT/東京) にて「オンガクミミズ」出展など。
三浦康嗣 KOSHI MIURA
日本のポップユニット、□□□(クチロロ)の主宰。 音楽制作のほか、プロデュース、舞台演出などのシーンでも活躍し、多角的に創作に携わる総合作家。
春日 恵 Megumu Kasuga アートディレクター/デザイナー
1973年生まれ、東京学芸大学A類美術科卒、Royal College of Art / MA Communication Art & Design卒。大手企業のデジタルプロモーション、ブランディング、体験型イベント、アプリケーションなどのアートディレクション、デザインを行う。これまでにNew York ADC、D&AD Awards、Cannes Lions、OneShow、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDS、文化庁メディア芸術祭など、国内外のデザインアワード、広告賞を多数受賞。
平野 淳 Jun Hirano ぴあ株式会社 共創マーケティング室 分析ユニット 兼 アリーナ事業創造部 企画ユニット 兼 戦略企画室
2014年ぴあ株式会社入社。チケット販売サイト「チケットぴあ」の新規サービス企画・開発や、音楽イベントのチケット仕入営業を担当。現在は、横浜・みなとみらいに新設された音楽アリーナ「ぴあアリーナMM」の体験型コンテンツの企画を担いながら、顧客分析や新規事業企画などに携わる。
「ぴあアリーナMM」モーションコリドー
デジタルサイネージ放映時間:11:00~20:00 *7/1(水)~当面の間
アートインスタレーション放映時間:毎時00分、30分~
※ぴあアリーナMMでの公演の有無に関わらず放映されます。※放映スケジュールは急遽変更となる場合がございます。