クリエイションは“はみ出し”から生まれる
本来、自由に楽しめるはずの公園で禁止事項ばかりが増えている。
そんな宮本の指摘に対し、亀田は「日比谷って、昔からちょっとした“はみ出し”を許容してくれている」と語る。
「さらに面白いのは、はみ出しているものが、やがて“伝統”となって続いていくんです。調和とヤンチャの両立がこの街を動かしているし、僕らをワクワクさせている」(亀田)
宮本も「“はみ出し”からこそ、クリエイションが生まれますから」と力説。
歴史の中で変化を遂げた能楽を例に挙げ「伝統と呼ばれるものも、当時は革命だったはず。伝統を大切にするのはもちろんだけど、次の伝統を作りだそうとして壊していったものが受け継がれていったことも忘れてはいけない」と語り、「新たな発想やつなぎ方が、これまでと違った化学反応を生むことも。このチャンスを逃すべきではない」とクリエイションの歴史的分岐点に胸を高鳴らせた。
“日比谷(HIBIYA)”を世界中に轟かせたい
国内に留まらず、表現の場をワールドワイドに広げている両名。それだけに「日本からエンタテインメントを発信すること」に対しては、並々ならぬ思いがあるようだ。
「ネットも活用し、意見交換できる時代になった。そういうことを楽しみにしたいんですよね。海外で仕事すればするほど、もう今までのスタイルじゃなくなってきたぞと思っていて、次はどの国のどんな発想が世界を変えるか……。リンクするのは自然と日本人。その恩恵を表現していくことが、コロナ禍以降はますます重要だと思う」(宮本)
一方、亀田は「日比谷(HIBIYA)」の文字を「トウキョウ、フジヤマ、ハラジュクと同じくらい、世界中に轟かせたい。エンタテインメントといえば、日比谷だと」と秘めたる野望を明かす。
「臆することなく日本から発信していくことに自信を持っていいと思います。日本の文化を微分ではなく積分して広げていこうと。それが若者の刺激や夢になれば」(亀田)
コロナという困難。その中でやるべきこととは?
アメリカ同時多発テロ事件が起こった2001年9月11日、演出舞台の稽古でニューヨークにいた宮本は、その4カ月後、同じニューヨークで“ある変化”に気づいたという。
「人々が優しくなっていたんです。痛み、孤独、断絶を経験し、ニコっと笑顔で会釈して繋がりを求めていたと思う」。
そんな経験を踏まえ、コロナが収束した際には「フィジカルに感じ合いたい」と願う。
「違う発想が必要になるし、脳を柔らかくしながら、面白いことができる時代になった。ソウゾウするだけじゃなく、(発想を)どうつなげるか……。ワクワクが止まらない! 日比谷のせいでしょうか」(宮本)
亀田も「本当に楽しみですね、これから来る未来が」と瞳を輝かせる。
「自由な発想とアンテナを持った若い世代に、平等にチャンスを与えられる場を作りたいし、同時に僕たちの道を切り開いてくれた先輩たちが、経験と知識を伝えてもらえる場所も作りたい。」