死後に作品の価値を認められたものの、生前は貧乏だった……という芸術家は多い。例えばゴッホは、存命中には1枚しか絵が売れず、弟・テオの援助を受けながら創作活動に打ち込んでいたという。
一方、同じく大画家であるピカソは、生前から画家として名声を得て、経済的に豊かな生活を送っていた。彼の遺産は、7万点もの作品に住居、現金などを加えると、日本円にして7500億にも上り、生きているうちに最も経済的に潤った画家と言える。ピカソとゴッホは何が違ったのだろうか?

「ピカソは新しい絵を仕上げると、数十人の画商を呼んで展覧会を開き、作品の背景や意図を解説したと言われています。理由はふたつ。ひとつは、人が作品という『モノ』を買うのではなく、そこにある『物語』にお金を払うものだと知っていたから。もうひとつは、画商が一堂に会すと競争原理が働き、作品の価格が上がるためです。ピカソは画家として才能があっただけではなく、自分の価値をお金に変える方法も心得ていたのです。それは、『お金とは何か』に興味を抱き、深く熟知していたからではないでしょうか」

そう分析するのは、『なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?』(ダイアモンド社)の著者で、複数の事業・会社の経営やコンサルティングを行う山口揚平さん。まずは本書から、ピカソのエピソードを紹介しよう。

 

ワインのラベルを無料で描いたワケ

ピカソが1973年に「シャトー=ムートン=ロートシルト」という有名シャトーの高級ワインのラベルをデザインした際、その報酬は現金ではなくワインで支払われたという。それはなぜか。自分のラベルによって価格が高騰したワインを受け取れば、飲むにせよ転売するにせよ、ピカソは得をする。シャトーのほうも、高額な報酬を一括で払う必要がない、というメリットがある。要するに、両者は信頼関係という土台があれば、お金を介さなくとも双方の価値を交換することができると知っていたのだ。