この、「いくつになってもチヤホヤ姫」と「元チヤホヤ姫」の違いは、
次の3つの要素を押さえられているかどうかがポイントとなってきます。
『チヤホヤ・非チヤホヤの違いを生む3つのポイント』
1.「客観視」 ~自分を客観視できるか
2.「リア充」 ~内面や人生が充実しているか
3.「現実努力」~外見や自分自身を磨くために現実的に努力をしているか
それぞれについて、それらを「できない立場」の視点から、詳しく見ていきましょう。
1.「客観視」
自分の外見を「客観視できない人」は、大概このようなかんじです。
・法令線にシワが刻まれても顔にタルミが出てきても気づかないまま放置して、取り返しのつかないブルドック顔になってしまう。もしくは少しヤバいなと思っても対策を講じない。
・いつまでも自分が若い時に流行った化粧の仕方をしている。化粧品代をケチる。
・同年齢でも若く見える人とそうでない人の違いに注目することもなく、当然自分の見た目年齢などにも無関心。
そういった、自分を客観視できない人は、ブレーキを踏む瞬間を見逃したままあっという間に老け込んでしまいます。ブレーキサインは至る所に出ているのに、見逃したのは怠慢としかいいようがありません。チヤホヤされる人にはそれなりの理由がありますが、チヤホヤされない人にもそれなりの理由があるのです。その最たるものは、「慢心」と「怠慢」です。
チヤホヤされる人というのは、慢心することなく、自分が老け込む小さな瞬間をキャッチして、地道に小さな芽を摘み続けてきた人たちです。そんな彼女たちは、ブレーキサインを怠慢で見送ってきた人たちと違い、年齢を重ねてもいつまでも若々しく、瑞々しく、輝いているのです。
2.「リア充」
内面や人生を充実させることに「無関心な人」は、大概このようなかんじです。
・人との交流を少しでも深めようとしたり、広げようとしたりしない。そういうことは面倒だと思っている。
・自分の興味や関心ごとを広げたり挑戦しようとしない。一番先にくるのは「できない理由探し」。
・いつも受け身。人がこっちに来るほど自分に魅力がなくても、それでも人の方から来ることを待っている。
そういった、内面や人生を充実させることに無関心だったり面倒くさいと思う人は、人としての魅力に欠けると思われる部分がどうしてもでてしまうので、チヤホヤとは縁遠くなってしまいます。何も特別なことをしなければ人からチヤホヤされないわけではありません。自分だけのとっておきの面白い何かを追いかけているだけでもいいのです。人は、楽しそうにしていたり何かに夢中になっている人に魅力を感じるもの。いくつになっても好奇心を忘れずいろいろな人と交流したり、趣味や仕事を頑張っていれば、チヤホヤの神はすぐそこに降りてきてくれるものなのです。ただし、同じ関心ごとでも「スナック菓子や間食に熱心」、などというのはいただけません。多少の品格、というものも問われることをお忘れなく。
3.「現実努力」
外見や自分自身を磨くために現実的に努力することに「無関心な人」は、大概このようなかんじです。
・太ってもシミができても髪の毛のコシがなくなっても「年齢的にしょうがない」とすぐに諦めてしまい、努力をしない。
・部屋の中を美しく保とうとしない。そもそもインテリアなどに興味がない。
・いくつになったら、こうなっていたい、という夢や目標がない。
これは、「こぎれい ⇔ こぎれいではない」の概念と結びつきます。要は、身なりも暮らしも思想も、こぎれいに保つことにより、魅力的な人物となり自然と人からチヤホヤされるようになるという単純なお話なのです。
こぎれいでなくてもいい、と決めてかかっている女性は、チヤホヤの対象外です。せっかく女に生まれてきたからには、こぎれいに暮らしてこぎれい美しく生きようではありませんか!!