彼女のような芝居のアプローチの人はほかにいない
――監督も今回、石原さんとお仕事をして、かなり手応えを感じられたと思います。彼女みたいな俳優さんとまたやってみたいですか?
やってみたいですけど、石原さんみたいな人はほかに思いつかない。本人にも言いましたけど、彼女は相当変わり者ですから(笑)。
――変わり者ってどんなところが?
さっき話した、周りを見失うぐらい演技に没入する人は石原さん以外ほぼいないですよ。
――疲弊した沙織里を体現するために、撮影中はわざと添加物の多いものを食べたり、パサついてくたびれた髪にしたり、そのあたりも徹底的にこだわっていたみたいですものね。
いやいや、太ったり、痩せたり、髪の毛を抜いたりとか、そういう表面的なことは誰でもできると思うんです。そうじゃなくて、彼女はメンタルの持って行き方がちょっと普通じゃないんですよ。
――そこは、『ヒメアノ~ル』の森田剛さんや『BLUE/ブルー』の松山ケンイチさんなどとも違いますか?
全然違うと言うか、圧倒的に違います。圧倒的に変です。なぜなら、彼女の芝居は俺の知らないアプローチの仕方だし、石原さんはそのアプローチをみんなやっていると思っているから、余計怖いんです。
――監督の知らないアプローチって、先程から何度か言われている、その状況下に自分を追い込む芝居のことですね。
そうそう。すべてのシーンをその状況を再現するかのような感性でやろうとする。
だから、例えば、物の置き方ひとつでも、ここにこれがあったら、この芝居はできないってなっちゃう。「ここからしか使わないから、そこはどうでもいいじゃん」っていうことができない。
それに芝居って、“ふり”でするところも多いじゃないですか? 人を刺すシーンなんて“ふり”でやるしかないのに、彼女は本当に刺しそうな勢いで来るんです(笑)。
――だから、ドアもあんなにバンバン蹴るんですね(笑)。
弟の圭吾を演じた森優作くんも髪の毛をめちゃくちゃ千切られそうになっていて。
俺が「大丈夫?」って言ったぐらい、テストの段階から抜きそうな勢いでした。でも、本人は手を抜いてるつもりで、気づいたらやっちゃってたみたいな状態なんです。
――それは本人も大変ですね。
本人も大変だし、こっちも大変です。それがたぶん、彼女が今回やりたかったアプローチだったんだろうけど、こっちは別にそれを求めていたわけじゃないですから(笑)。
――石原さんは「吉田監督とまたやりたい」って言われてますね。
いや、さっきも話したように、俺、クランクインしてから最初の1週間は本当に大変で。
“こんなやり方で大丈夫か?”ってちょっと後悔したし、苛立ちもあったんです。
“もっと技術で芝居をしないと現場が回らないよ”とも思っていたんだけど、その苛立ちがだんだん面白さに変わって、最後は「スゴいな!」ってファンになってました(笑)。
それに、やりながら自分も壊されてる気がして。俺もこれが13本目の監督作品だから、けっこう技術だけで撮れちゃうんです。
そういう、いままでのものを壊したいと思っていた俺の気持ちと石原さんの気持ちが上手くハマったから、俺も撮りながらワクワクしたし、終わった後はふたりでガッツポーズでした。
すごく楽しかったし、石原さんが本当に愛おしかったですね。
自分のリアリティにエンタメが勝たないようにする
――ところで、吉田監督は本作や『空白』だけでなく、人間のおかしな言動や社会の不条理などをテーマにした作品が多いと思うのですが、そちらに思考が向くのには何か理由があるのでしょうか?
僕自身がそういう人間だからじゃないですか?
――世の中のあり様に疑問を持っているということですか?
みんな同じようなことを思ってるような気がするんですよ。SNSを見ても、みんな怒り狂ってるなと思うし、怒り狂ってる投稿を見て、この怒り狂ってる奴がおかしいとも思っちゃう。
俺はSNSを一切やらないようにしてるんだけど、やらない俺のことを卑怯だと思う奴もいるだろうね。
そうやって、いろいろ考えても、正解なんて1個もないんです。
――そうですよね。
ただ、正解はないけど、「無駄な攻撃だけはやめとかない?」ってことだけは言っておきたい。
今回の『ミッシング』にしたって、別に娘が失踪したこの夫婦に協力しなくたっていいんですよ。
無関心でもいいんですよ。ただ、邪魔だけはしないで!っていう。邪魔をする必要性は一切ないですからね。
――沙織里はネットで不特定多数の人たちか「オマエが子供を置いて、ライブに行っていたからいけないんだ!」といった誹謗中傷を受けて、精神的に追い詰められていきましたものね。
書き込んだ本人は正しいことをしているつもりなんだけど、そんなの正義でも何でもないよっていう。
世の中の常識や言っていいことと悪いことのラインが曖昧になっていて、何にでも噛みついていいと思っちゃってるから、始末が悪い。
例えば、未だにある酷い差別みたいなものには声を上げなきゃいけないけれど、個人をよってたかって叩くのは正義じゃない。そのへんの自分の線引きを、『ミッシング』を観て再確認していただけると嬉しいですね。
――吉田監督も発信者ですけど、映画を作る上で気をつけていることはありますか?
エンタテインメントが、自分が信じているリアリティに勝たないようにはしています。
面白い映画を作ろうと思うと、どうしてもエンタテインメントの色が濃くなってしまうけれど、そうすると、“このキャラクター、こんなことしないよね?”とか、“世の中、こんなに酷くないんじゃんない?”っていう矛盾が生じてしまう。
そういう、自分の中のリアリティと映画というエンタテインメントの間の線引きでいつも葛藤していますね。
――では、今後もそうやってご自身の中のリアリティを追求した映画を作られていくわけですね。
そうですね。ザッツ・ファンタジーとかホラー映画みたいなものは僕には撮れないですから、しばらくは、人間の感情をベースにした作品を作っていけたらいいなと思っています。