長谷川町子・26歳 ~25年間連載された『サザエさん』~

続いてご紹介したいのは、日本初の女性漫画家で、国民的人気漫画『サザエさん』の作者である「長谷川町子」。

彼女は、14歳で大人気漫画『のらくろ』の作者・田河水泡氏に弟子入りし、1935年、15歳でマンガ家デビューを果たします。順調に漫画を描いていくうちに、日本は戦争へと突入するのですが、長谷川町子は、福岡に疎開し、西日本新聞社の編集局絵画課などを経て、1946年、26歳の時に夕刊フクニチに『サザエさん』の連載を開始します。

人気を博し、1974年に終了するまで25年間6477回連載! 幅広い読者に愛され、戦後日本の家庭漫画を代表する作品となったのです。またテレビアニメ化されたことにより、
現在でも『サザエさん』を知らない人はいないですよね。

長谷川家の歴史を見ると、町子さんたち姉妹の父親は、まだ若い娘たちを残して早世。長女は戦争中に結婚したものの、夫は戦死。末っ子は戦後結婚して二女をもうけたものの、夫は35歳で病死。そして町子さんは生涯独身であったことがわかります。

サザエさん一家が、とても温かい家庭であるのは、自分が夢見た平凡な家庭を漫画の上で描いていったから、とも言われています。

といっても、25年間連載を続けるのは大変な苦労があったようで、家族も心配されていたようですが、「でもね、いい作品ができたときの嬉しさや満足感は、あなた達の誰にもわからないわ」と告げたのだとか。

国民的作品として抜群の知名度を誇る『サザエさん』。26歳から連載を開始し、今もなお人々の心を明るく照らし続ける存在である作品であること、本当にすばらしいですね。

紫式部・35歳 ~遅い社会人デビューから得たものとは?~

平安時代中期の女房、『源氏物語』の作者である「紫式部」のことは、ご存知の方も多いかと思います。1000年以上たった現代でも天才と言われ、卓越した観察力を持った作家で、歌人でもある「紫式部」ですが、実は彼女、普段は「アホ」のフリをしていたことはご存知でしょうか?

1010年ごろの成立とされる、紫式部が彰子に使えていた頃の日記『紫式部日記』には、「教養をひけらかしていると思われないよう、“一”という字だって書けないフリ」をしていたことが書かれています。紫式部は外交的ではなく、何かと言うと「私なんて……」と考える内向的な性格だったようです。

そんな紫式部が結婚したのは29歳の時。当時で言えば、晩婚です。結婚した相手にはすでに妻がいたものの、娘も生まれて、まずまず幸せな生活がおくれたようですが、結婚から3年後、夫は病で亡くなってしまいます。

そんな中、紫式部がおさえていた知識を全力投入して書き始めたのが『源氏物語』です。こちらは口コミで大ヒットし、お姫様(彰子)も読者になり、藤原道長にスカウトされて「インテリ作家」を売りに彰子の元で働くことになります。

この時、彼女は初めて働くことになったのですが、年齢は35、6歳と言われています。そこには、紫式部よりもうんと身分の高い貴族の娘もいれば、若いころから出仕しているベテラン女房もいる。そこで彼女は宮中でも、嫌な女だと思われないよう「ボケたふり作戦」を敢行したのでした……。

何かと考えすぎな人だったようですが、紫式部が勇気を出して35歳にして初めて働きに出たおかげで、『源氏物語』の舞台である宮廷生活の実際に触れ、物語を書き続ける上での経済的援助を受けることができました。何より今私たちが、胸をときめかせて『源氏物語』を読み続けることができる事実に、感動すら覚えます!