撮影:ムツ・カワモリ

解剖学者であり東京大学名誉教授の養老孟司氏に、スーパーマリオについて語ってもらった。

氏はパソコンゲームやアーケードゲームの黎明期から、ゲームにハマっている筋金入りのゲーマー。インタビュワーは『アクアノートの休日』や『巨人のドシン』を手がけたクリエイターで、現在は立命館大学の教授も務める飯田和敏氏。異例の教授談話についてこれるか!?

ゲーマー教授の前に現れたマリオ

飯田 東京ゲームショウなどで度々、養老先生の講演を拝見させて頂いて、ゲーム制作者として啓発されてきたのですが、僕はそれよりずっと前に美術大学で油絵をやっていて、その頃、出版されたばかりの『唯脳論』を読み、やはりたいへんな刺激を受けました。この本がゲーム制作を始めたきっかけの1つだったかもしれません。

まずは、養老先生とテレビゲームの出会いをお尋ねしたいのですが、ここはやはり『スーパーマリオブラザース』でしょうか?

養老 いやいや、僕はそれ以前からだね。

飯田 『スペースインベーダー』とかですか?

養老 そうそう。あとはよく遊んでいたのが『平安京エイリアン』。

飯田 ああ! アーケードゲームの時代から!

養老 あの頃は喫茶店にゲーム機が置いてありましたね。テーブル型の。それだけじゃなくてね、仲間の誰かがゲームのフロッピーディスクを入手して、それをみんなでやってたのよ。喫茶店とかではなく、やはりプライベートな場所で思う存分やりたいじゃない。その方が熱中できるからね。

そしたら、しばらくしてマリオが研究室にやってきた。そのときのことはよく覚えているなぁ。

飯田 ファミリーコンピュータ(ファミコン)の『スーパーマリオブラザーズ』ですね。当時はパソコンはとても高価なものでしたが、ファミコンはソフト1本つけても2万円ほど。それが家のテレビで好きなだけ遊びまくれるんだから画期的でした。

養老 きっとその頃から、本格的にテレビゲームにハマり出したんだな。

飯田 いかがでしたか? 『スーパーマリオ』は。

養老 たしか子どもが小学校ぐらいだったから、30年前というと僕も40代ですかね。ともかく、徹夜で遊んでいました。

飯田 お子さんとですか?

養老 いやいや、1人で。女房に怒られて、部屋から追い出された(笑)。

飯田 なんで徹夜を?

養老 どうしてもクリアしたかったんだよね。もう何があっても、クリアしたくて、どんどんのめり込んだね。

飯田 それはストーリーの結末を知りたいということだったんでしょうか? マリオとピーチ姫がどうなっちゃうのか、という。

養老 そこにはそれほど興味なくて、とにかくすべてのステージをクリアしたかった。

飯田 これまでのコンピュータゲームに比べて、『スーパーマリオ』がもっていたクリアしたい欲求というのは違いはありましたか?

養老 そうだね。それ以前のゲームは1度クリアすれば気が済んでいたけれど、『マリオ』は、いろんなクリアの方法があった。クリアにもバリエーションがあったでしょ。

飯田 そうですね。最短でステージを駆け抜けたり、寄り道してコインを集めたり。

養老 ゴールへの道のりが1つじゃないから、いろんな遊び方ができたよね。それがよかったんじゃない?