古典としてのマリオは永遠にあり続ける
飯田 今後、テレビゲームにヴァーチャルリアリティの技術が用いられます。ここでまたメディアとしての質的転換があると思います。それでも古典としての『マリオ』の価値はあり続けるでしょうか?
養老 初めて触れるテレビゲームとして『マリオ』はあり続けるだろうね。しかも、それが最新ハードではなく、ファミコンやスーパーファミコンのものであるケースもあり続けると思う。テレビ番組や映画がなくなることがないように。
バーチャルリアリティも脳科学の視点でいうと、けして新しいものではないんですよ。実際のところ人間はさまざまな情報を脳で処理することで、現実という枠組みを脳内に設定しているのだから。
ただ、いちいち処理をするのでは効率がよくないので、「現実セット」という設定を持っていて、テレビゲームをしているときは、その設定が「虚構セット」に変わるので脳内では区別しているのだけれど、その境界は揺らいでいくだろうね。
飯田 境界がゆらぐことで、クリエイターやユーザーは暴走してしまうかもしれません。ゲームが、世間やメディアに非難されることもあり、そんなときに養老先生が防波堤になってくれた経緯もあります。
養老 そういうとき、僕は自分が一種のアンカーだと思ってるから。
突然、話が飛ぶように思うかもしれませんが、要はバランスです。テクノロジーが進化するほど、つまり社会の脳進化が進むほど、アンカーとしては自然環境が大事になる。いっそのことゲームクリエイターは田園のなかで開発するべきではないでしょうか。息抜きに、虫取りでもしながら(笑)。
飯田 脳が妄想的に生み出したモノに自らが感染してしまい、ときにはそれが悪夢的なものでもある。そんなイメージでしょうか? それをリセットするのが自然というのはよくわかります。
養老 自然は脳とは別の次元に存在して、中立です。脳が手出しできるもんではない。しかし、われわれはその環境下で生きている。これを絶対的な尺度にするしかないです。
飯田 それは『マリオ』が持っている底抜けの明るさとも通じていますね! ゲームでありながら自然的。だからこそ、誰でも楽しめ、誰にでも受け入れられる。バーチャルになれば、実際に自然のなかでジャンプする感覚を得ながら、マリオをプレイできるかもしれませんしね。
養老 Wiiリモコンのとき以上に、周りに笑われるかもしれないね。
飯田 最後に『スーパーマリオ』へのメッセージはありますか?
養老 どんどんやれ。
取材・文:飯田和敏 撮影:ムツ・カワモリ
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