総勢200名、24時間体制で制作!
ところで、村上氏の《五百羅漢図》はどのように作られたのでしょうか。
村上氏は日本全国から学生を集め、シフトを組んで24時間体制で制作を行ないました。制作に携わった学生の総数は200人以上。その過程で使用された資料の数々も展示。過去の《五百羅漢図》のリサーチレポート、学生たちのシフト表、村上氏の具体的な指示書など、制作の舞台裏も垣間見られます。
作品名は「馬鹿」。ユーモア溢れる自画像
最後の展示室に足を踏み入れると、来迎図や黄金の彫刻など、ユニークな造形が視界に飛び込んできます。中でもひときわ目立つのが、画面いっぱいにひしめく無数のドクロ。
8年という歳月と何人もの人たちの労力がつぎ込まれたこの作品について、村上氏は「(これを作るのは)ものすごく大変なんだよ」とこぼしたそうです。「村上隆の五百羅漢図展」では、お花の代わりにドクロがあちこちに見られます。その意義については、記者会見で村上氏本人の口から語られます。
全ての展示の最後を飾るのは、小さな文字で埋め尽くされた作品。少し離れて眺めると、「馬鹿」の2文字が浮かび上がってきます。作品名はそのものずばり《馬鹿》。村上氏いわく、「《馬鹿》には、飲み屋でぐうたれているオッサンの姿が描かれている」とか。なるほど、文字の中心には村上氏の自画像があります。
「村上隆の五百羅漢図展」は、ポートレートで始まりポートレートで終わる奇妙な展覧会でした。そこには、「日本の美術界全体を変えていきたい」という村上氏の熱い思いが込められています。芸術に人生を捧げ、後進の育成にも心血を注ぐ村上氏。その四半世紀にわたる芸術活動の軌跡から、現代アートの「今」、そして日本美術の問題点までが見えてきます。