高倉:たしか夏休みに、テレビを観ていてミュージックステーションに『BELOVED』(96年)で出ていたのを見たのがきっかけです。
最初は「ふ~ん」と聴いていたんですが、サビの後半部分でガーンと来て、「買おう」と思いました。
ーー「AH 夢から覚めた~」の部分ですか?
高山:いわゆる「大サビ」でダメ押しを食らった感じです。
その後『口唇』(98年)が大ヒットしたじゃないですか、当時中1だった僕のクラスの中で『口唇』とTMRの『LEVEL4』が双璧でしたね(笑)。
それから『BELOVED』のアルバムを買って…、個人的にその頃にギターを始めたんです。そこで「バンやろ(雑誌「バンドやろうぜ」)」にスコアが載ってるじゃないですか、でもギター始めたての小僧にはHISASHIが何をやっているのかわからなかったので、TAKUROだけをひたすら弾いてました。
そこから『pure soul 』(98年)、『HEAVY GAUGE』(99年)中学生男子という多感な時期に連続で食らってしまい…今に至る、という感じですね。
船山:皆さんうらやましい! 私は今27歳なんですけど、「GLAY EXPO 20万人ライブ」や「GLAYジャンボジェット」みたいな時代は小学1年生だったのでまだGLAYのことはニュースでなんとなくしか知らなくて、リアルタイムでは経験してないんです。そもそも親も厳しくて「ロックバンドなんて聴いてはいけません」みたいな雰囲気だったし。
でも小学校4年の時に、「速報!歌の大辞テン」という番組で、偶然『HAPPINESS』(00年)が流れてたんですよ。それが衝撃的で「こんなかっこいい人たちがこの世にいるのか」と、親に内緒でお小遣いで買いました。そこからちょっとずつ過去のCDを集めて…というのがきっかけです。
サホ:私はそのくらいの時期に「GLAY疲れ」がきてるんです。
ーーその「GLAY疲れ」した理由と、戻ってきた理由も知りたいですね。
サホ:毎週聴いていたTAKUROさんのラジオが一旦終わったあたりから「次は世界だ!」と言い始め、『GLOBAL COMMUNICATION』(01年)という曲に
なじめず…。
船山:私その曲すごく好きだったんですよ~。
高倉:僕はその気持ち少しわかります。
サホ:「戦争をやめよう」みたいな。
高倉:リーダー(TAKURO)がジョンレノンを尊敬していることもあって、もともと社会意識は強かったと思うんですが、その後にも9.11があったり反戦ムーブメントがGLAYの中に来てたんですよね。
サホ:海外云々もよいのですが日本のファンにライブをもっと見せて欲しかったんです。その時期に別のバンドに流れてしまいましたね…(笑)。