3.人類のSIN(罪)への自問自答。ゴジラは“人間の過ちと原子力”が生み出した罪の子なのか?

『シン・ゴジラ』の「シン」について、見る人によって「新」や「真」といった文字を重ねていることかと思います。山内章弘プロデューサーも、タイトルの「シン」には「新、真、神」など複数の意味があると発表しています。

ただ、本作の中では、石原さとみ演じる日系3世で、米国大統領特使のアメリカ人、カヨコ・アン・パターソンがゴジラ命名の経緯を、日本の架空の島、大戸島に伝わる海神「呉爾羅」を米語読みにし、神が遣わした生命体という意味も重ね「Godzilla」としたと解説する場面があります。

ならば、「シン」の英語、sin、すなわち罪の意味合いも込められているとの解釈も成り立つはずです。

1954年の初代の『ゴジラ』は、度重なる水爆実験によって安住の地を追われたゴジラの怒りがさく裂するかのような構成となっていましたが、本作では、各国が60年前に秘密裏に海へと投棄した放射性廃棄物の影響を受け、DNAの突然変異と異常成長によって巨大化した謎の生物という設定になっています。

人類の科学への軽視が、自分たちのコントロールが及ばぬ謎の生命体を生み出した。

いわば、ゴジラは人間と原子力が生み出した罪の子といえるのではないか。

©2016 TOHO CO.,LTD.

劇中、矢口が選抜した若手の研究者たちの解析によって、ゴジラは体内に生体原子炉とも言える「熱核エネルギー変換生体器官」をもった無性繁殖も可能な、まさに神のごとく、人知を超えた存在であることが分かってきます。

いわば、ランダムに歩く原子力発電所ともいえるゴジラのエネルギーをどう鎮めるかが矢口率いるチームの最重要課題となり、それは、3・11を経た我々日本人が現在抱える福島第一原子力発電所のいまだ終息が見えない問題と重なり合います。

庵野監督は記者会見で、「ゴジラの目は常に下しか向いていない。これはファースト・ゴジラの目を継承したものだ」と話しています。

ゴジラの目線が下なのは、人間しか見ていないからだと。

同時に、監督・特技監督の樋口真嗣は、地上の人間が仰ぎ見た際のゴジラの大きさや怖さを強調します。

公開後に、329番目の出演者で、モーションキャプチャーでゴジラの動きを演じた俳優として、狂言師の野村萬斎の名が発表され、大きな話題を呼びました。

これまでのシリーズの着ぐるみによるダイナミックな動きに対し、CG化されゴジラは当初は鈍く、静かな動きが印象的ですが、迎え撃つ人間のアグレッシブな対応に防衛するかのように、激しく抵抗するようになります。

ゴジラを生み出したのはまさに人間であり、親として人類はこの子をどう処するのか、様々な創意工夫で強調されるのです。

 4.私たちが、日本という国をこれからどうしたいのか、どう選ぶのか

©2016 TOHO CO.,LTD.

 『シン・ゴジラ』がこれまでの「ゴジラ」シリーズと最も違うのは、日本に何か有事が起きた時、事態がどう進むのかのシュミレーション映画としての機能が強いということでしょう。

有事とは災害などの非常事態が起きることを指しますが、この映画ではさらに一歩踏み込んで、テロや戦争が起きたときに、政治家がどう動くのかを想定して、言及した内容になっています。

自衛隊の描写においても、これまでの「ゴジラ」シリーズにあるような、ゴジラに向かって気軽に攻撃するというような大雑把な扱いにはなっていません。

逃げ遅れた老人がいたため、大杉蓮演じる総理大臣が空自のF2戦闘機による攻撃を直前で取りやめるという、有事関連7法の国民保護法を意識したかのような描写もあります。

もちろん、本作は架空の話なので、実際の事例とは違いますが、映画だからこそ、そして、これまでの歴史がある「ゴジラ」シリーズのブランド力があるからこそ、どういう事態があり得るのか、タブー視せず、最適な表現を目指し、それを可能とした部分があります。

とはいえ、庵野総監督が「戦争映画、万歳」という軽いノリで作ったことではないのは、劇中、重要な人物として故・岡本喜八監督の写真を登場させていることでもわかります。

岡本喜八監督は戦中派の監督で、戦争によって理不尽な人生を歩むことになる一歩兵の『肉弾』(1968)で知られます。昨年、原田眞人監督がリメイクしたことで再注目を浴びた『日本で一番長い日』は、戦争を終わらすために膨大なエネルギーをかける政治家たちの攻防を描いた作品でしたが、『シン・ゴジラ』がこの映画の閣僚会議をモチーフにしていることは明らかです。

また、登場人物の中には、『ゆきゆきて進軍』の原一夫監督や、『野火』の塚本晋也監督など、これまで戦争に振り回される男の受難劇を撮ったことのある映画監督を選んでいることにも、意味があるのではないでしょうか?

思えば、庵野総監督が自分の身を削りながら作った『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公である碇シンジは、有無をもいう選択肢もなく、否応なく戦闘の場へと放りこまれましたが、『シン・ゴジラ』の主人公である矢口は東京都民を守るために、徹底的に、何をどうするか常に、「選択」する姿勢が描かれます。

そして、この矢口を官僚ではなく、国民の投票で選ぶ政治家にしたのも、庵野総監督の観客へのメッセージではないでしょうか。

私たちが、日本という国をこれからどうしたいのか、どう選ぶのか。そんなことを想起させる力作となっているのが『シン・ゴジラ』なのです。

映画ジャーナリスト。「キネマ旬報」「装苑」「ケトル」「母の友」「朝日新聞」など多くの媒体で執筆中。著書に映画における少女性と暴力性について考察した『ブロークン・ガール』(フィルムアート社)がある。『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)、『アジア映画の森 新世紀の映画地図』(作品社)などにも寄稿。取材・構成を担当した『アクターズ・ファイル 妻夫木聡』『アクターズ・ファイル 永瀬正敏』(共にキネマ旬報社)、『伝説の映画美術監督たち×種田陽平』(スペースシャワーブックス)が発売中。