デビューから一貫して挑戦的かつ革新的な映像表現に挑み、その先鋭的な作風で国内外の映画ファンを魅了してきた岩井俊二監督。
第29回東京国際映画祭の「Japan Now」部門でそんな岩井俊二監督の特集上映が決定したのを記念し、同監督を直撃! それぞれの上映作品でどんなことに挑んだのか? を振り返ってもらいつつ、未来の映像作家たちに向けて熱いメッセージを語ってもらった。
「いま思うと放送事故だろ!というようなことを、面白がってやってました」
今回の特集上映の中で、最も初期の作品が1993年製作の『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』。
もともとはテレビドラマとして作られ、後に再編集版が劇場公開された本作は日本映画監督協会新人賞にも輝いた、“岩井俊二”という映像作家の豊かな才能を印象づける野心作だった。
「余裕は全然なかったんですけど、何か新しいことをやりたかったんですよね」と、岩井は当時を振り返る。
「僕が子供のころは普通の文芸作品にはあまり光が当たっていなかったし、僕も自分が後にリメイクした『なぞの転校生』を始めとする“少年ドラマシリーズ”を観ていて。
あの子供のころの胸の高まりや、完全なSFではなく、日常の中で未知なる世界に触れるあのジュブナイルな空気が好きだったから、この作品ではわりとそこに集中しましたね」
映像的にも「いま思うと、放送事故だろ、というようなことを現場のビデオエンジニアと面白がってやってましたね」と笑う。
「少し難しい話になりますが、当時のデジタルの世界はまだ情報量が少なくて、フィルムでは綺麗に映る空の雲が白く飛んじゃったりしていたんです。
それでリミッターを外して撮影したり、そんなことをやる人はほかにいないと思うけれど、最初のオンエアー当日には送出の担当者に放送のリミッターを外してもらうという、やってはいけないことをやってもらって(笑)。
だから、当時のほかの番組より、ちょっとだけ映像が綺麗だったかもしれません」
岩井はこの後、95年の『Love Letter』で実質的な劇場監督デビューを飾ることになるが、「実は最初はテレビドラマの10本目ぐらいの作品として企画されていたので、もっと地味な話だったんです」という。
「『小津安二郎の(フィックスのローアングルの)撮り方で撮ったらどうなるのか? 何なら白黒でもいいんじゃないか?』みたいなノリで進んでいたんですけど、フジテレビの方からやっぱりNGが出て企画自体が流れかけたんです。
そのときにドラマのプロデューサーが映画部に繋いでくれて、『映画でならできる』ということで実現したんです」
だが、「そこで僕がちょっと日和ったんですよね」と岩井は回想する。
「映画で小津安二郎のパロディをやったら、仕事がこなくなるなと思って。
それこそアラン・パーカー監督みたいにいろいろなものを盛った、ちょっとしたスペクタクル映画ぐらいなものにして、『よくできたね』って言われなければ、次はないなと思ったので、頑張ってあそこまでの作品に仕上げました(笑)」
映像面では「シネスコ(シネマスコープ)にこだわりましたね」と強調する。
「シネスコ」というのは、横縦の比率が2.35:1の横長の画面のサイズのこと。
「それは撮影の篠田昇さんのこだわりでもあったんです。僕はビデオ畑なので、よく知らなかったんですけど、篠田さんは当時『いまどき誰もやらない。シネスコで撮るって言うと笑われるぐらいだよ』って言ってましたね。
『男はつらいよ』シリーズぐらいしか、シネスコの映画はなかったですから。でも、篠田さんが言うことは理にかなっていたんです。
当時は35ミリのフィルムで撮っていたけれど、それをヨーロピアンビスタ(1.66:1)やアメリカンビスタ(1.85:1)のサイズにアジャストすると、上下を無駄に切って画面そのものは16ミリぐらいの大きさにしかならない。
それで篠田さんは『35ミリのお金を払っているのに16ミリのサイズにしかならないなんて、そんなバカの話があるか?』と言って、ビスタサイズで撮ることを拒否していたんです」
シネスコで撮る利点はほかにもあった。
「いま言ったように、フィルムをフルに使えるのはもちろん、プリズムレンズで外側の光を取り込んでくるので、画面が明るいんです。
確かに、それまでの僕は4:3のテレビの画面を見慣れていたから、テストで最初に見たときはあまりにも横に長いので違和感を覚えたけれど(笑)、画が圧倒的に綺麗だし、迫力もあるんです。
なので、『四月物語』(98)もシネスコにこだわりましたが、あれが35ミリフィルムで撮った最後の映画になりましたね」
「アメリカで勉強したくて。でも、日本でやるのとあまり変わらなかった」
『スワロウテイル』(96)は、リドリー・スコット監督が撮ったSFの名作『ブレードランナー』(82)に触発されて、「円都(イェンタウン)」というアジアの架空の都市を作り、そこで移民たちの物語を撮るのがテーマだった。
「最初は中国で撮るという話でロケハンにも行ったんだけど、当時の我々の予算4億ではハマらない。
現場のプロデューサーにも『8億はかかる』と言われたし、美術監督の種田陽平から『日本で撮った方がいい』という提案もあって、結局、国内にオープンセットを建てて撮ったんです。
でも、それこそ僕は一時、『ハイエイト(ソニーが製品化した家庭用ビデオ)で撮ろうよ』と言っていたんですよ(笑)。
『我々のテーマは街を撮ることなんだから、街さえ撮れればいい。スゴい街なら、ホームビデオで撮ってもスゴいに決まってるじゃん!』とみんなを説得してね」
それで一度試算したところ「一気に3億ぐらいまで下がったんです」と強調する。
「それで1億余るなら、16ミリと35ミリを併用すれば予算にハマるということになり、引きの画を35ミリで、寄りを2台の16ミリカメラで撮って、1台は僕が回しました」
『スワロウテイル』はポスト・プロダクション(編集、ダビング、アテレコ、アフレコ、特殊効果処理などの仕上げの作業)をアメリカでやることにもこだわった。
「アメリカで勉強したくて。でも、日本でやるのとあまり変わらなかった」
最新作『リップヴァンウィンクルの花嫁』(16)では、SNS世代のヒロインが辿る悲喜劇を描いたが、映像面では6Kのカメラで撮ったことが、それまでとは違う大きな進化だ。
「その前に、僕は『花とアリス殺人事件』(15)を4Kで撮っているんです。
実写の世界では4Kで撮るのはもうあまり珍しくないと思うけれど、“花アリ”は4Kで撮って、4Kで編集した最初のアニメかもしれない。
ただ、4Kになると解像度が上がるから、背景をより細かく描き込まないといけないんですよね。つまり、作業が増えるから、アニメーターたちの報酬を上げなければいけない。そこが難しいところでした」
それに対し、『リップヴァンウィンクルの花嫁』は「カメラが最初から6Kで撮れるものだったので、基本的には6Kで撮って。それを上映のときのスペック(仕様)に合わせて4Kに落として仕上げました」と語る。