また、第5章では1991年以降を故人の全盛期としてまとめているのだが、10年余の輝かしい業績をわずか1章に押し込めたのは雑すぎる扱いだ。故人の生前の単行本には不自然なところがある。「週刊朝日」連載の「小耳にはさもう」には、最初の単行本化で収録されなかった回がいくつかあり、それらは2005 年の『ナンシー関の「小耳にはさもう」ファイナル・カット』に初めて収められたのである(巻末の作品リストで2007年の朝日文庫を初刊のように書いているのは間違い)。そうした疑問は、本書では解消されなかった。

さらに、浅草キッドと組んだ「週刊アサヒ芸能人」の連載も重要なものであるはずなのに、それに関する記述がまったくないことにも首をひねらされる。「ビートたけしのオールナイト・ニッポン」を欠かさず聴き、毎回カセットテープに録音していたほどのたけし信者であるナンシー関について、直系の弟子である浅草キッドとの仕事を無視するのはまずいのではないか。

もっとも著者は自身がもともとサブカルチャーに関心のない人間であったことを認めているので、このへんは無いものねだりの要求になるのかもしれない。地元の友人から芸能人に至るまで、大量の証言を集めた功績は素直に評価したい(故人が舌鋒鋭く批判していた川島なお美にまで取材をしている。なお美のナンシー評は必読だ)。誰からも愛された人物像が、本を読むと浮き上がってくるのである。

やや否定的なことを書ねすぎたかもしれないが、そうしたマイナス部分を考慮に入れてもなお、本書は読むべき価値がある本だ。ライターという稼業が成り立ちにくくなっている時代でもある。ナンシー関という稀有な才能の持ち主がいかに世間に見出され、自らを律しながら時代と切り結んでいったか、という点を読むだけでも、後続の人間にはおおいに参考になるはずである。

最後に、ナンシー関の名づけ親であるいとうせいこうが『秘宝耳』の文庫解説として書いた「ナンシー」と題する文章の一節を紹介しよう。私の知る限り、ナンシー関について書かれた追悼文の最も優れたものであり、何度読み返しても胸の熱くなる思いを覚える。

――もしも本当に彼女がいなくなってしまったとするなら、テレビ界は緩むだろう。人気者界はことごとく緩む。マスコミが祭り上げた人間が、ユルいイメージだけで我々を支配しようとする。ナンシーだけがそういうイメージと正対し、本質を言い当て続けていた。彼女は世界を映す小さな真実の鏡みたいな存在だった。我々はその鏡を失ってしまった。(中略)圧力に屈せず、自らの身辺もきれいでユーモラスで、意地悪のようでいながらおおらかに優しい人が一人いなくなった。/いや、そんな人はもともとナンシーの他にはいなかった。

すぎえ・まつこい 1968年、東京都生まれ。前世紀最後の10年間に商業原稿を書き始め、今世紀最初の10年間に専業となる。書籍に関するレビューを中心としてライター活動中。連載中の媒体に、「ミステリマガジン」「週刊SPA!」「本の雑誌」「ミステリーズ!」などなど。もっとも多くレビューを書くジャンルはミステリーですが、ノンフィクションだろうが実用書だろうがなんでも読みます。本以外に関心があるものは格闘技と巨大建築と地下、そして東方Project。ブログ「杉江松恋は反省しる!