本書は「サブカルの旗手」として支持されたことのあるひとびとに取材したインタビュー集である。雑誌「クイック・ジャパン」連載時に登場したのはリリーの他、大槻ケンヂ、川勝正幸(2012年没)、杉作J太郎、菊地成孔、みうらじゅん、ECD、松尾スズキ、枡野浩一、唐沢俊一の10名。これにゲストとして精神科医・香山リカによる総括談話を追加して単行本は刊行された。若いころからサブカル界で活躍していたひとびとが40代に入ると鬱(状態)になるのはなぜなのか。そうした吉田の素朴な疑問から企画は始まった。
「中年の危機」という言葉があるように、人生の半ばを過ぎた人が精神の不調を訴える事例は決して珍しくない。吉田が「サブカルものの鬱」を特にテーマとしたのは、若いころから人に注目される場所で活躍し、いわば切り売りするような形で自己の人生をさらけ出し続けてきた「サブカル・アイコン」たちの個人史に強い関心を抱いたためだろう。
松尾スズキは、離婚騒動のただなかにいるときに連載していた小説が書けなくなってしまう。その松尾に浴びせかけられた読者の声は、冷たいものだった。
松尾 うん。「つらいときこそ書くのが作家なんじゃないか」とか、死者に鞭打つようなことを(笑)。ホント、そういうこと言うヤツって何様だと思うよ。喫茶店だって「店主が病気なので休みます」みたいにやるじゃない。「病気のときこそコーヒー作るのが喫茶店主だ!」なんて言われ方はしないのに!
この残酷さだ。主流の文化人が存在する以上、サブカル者にはやはり「日陰」のイメージがつきまとう。そうした負の要素を承知で背負っているのに、サブカル界ではスポットライトを浴び、日向の人間として扱われるのである。「サブカル・アイコン」たちは存在の中にもともと含まれた矛盾と付き合いながら自己の役割を果たし続けてきた。そうしたひとびともやはり「中年の危機」に陥った。その事情の特殊さに吉田は惹かれたのである。矛盾を内部に孕んだ人の鬱になり方は、やはり幾重にも屈折したものではないのか。
「サブカル者の鬱とのつきあいかた」を指南するものであるかのように、この本は私には読めた。そういった意味では、巻頭に登場したリリー・フランキーの談話がすべてを代弁しているように思える。「鬱は大人のたしなみ」「それぐらいの感受性を持っている人じゃないと、俺は友達になりたくない」とリリーは言うのである。
リリー 一番最初にこいつクオリティ落ちたなって気づくのは、編集者でもなく自分なんだよ。それに気づいたとき鬱が始まる。(中略)鬱にならない人って、自分はいいものを書いてるつもりで、「寒くなったな、あいつ」って言われてるのを知らないまま一生生きてく。そんな人、いっぱいいるでしょ。二~三年ちょっと鬱状態になって仕事も滞った人のほうがまだバネがつくと思う。
やりなおしのきかない人生などない。そう断言する人、書物に私は深い共感を覚える。『サブカル・スーパースター鬱伝』もそうした人生のありようを伝える一冊だった。
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