皆さんこんにちは、Chaccoです!

実はワタシが一番『母親としての自覚』を意識できてたのはムスコを妊娠していた時でした。

というのも、1度流産を経験し不育症が発覚したワタシは、
『元気に生まれてるだけでいい!その願いが叶えば後はどうとでもなる!!』と強く思っていたんです。

フォトギャラリー「夫婦愛の破壊と再生」編 ~産後うつとの戦い~

なぜ『母親』になれなかったのか、
なぜ『産後クライシス』になったのか

1日2回の自己注射治療に耐え、
つわりや貧血を我慢し、
切迫流産の危険や、破水後の陣痛促進剤による急な痛みも乗り越えて、
ムスコを無事に出産することができましたが、

出産を『ゴール』にしていたせいで、
そこから待ったなしで育児が『スタート』する展開に頭がついていきませんでした。

――そう、念願だった
『不育症でも自分の子どもをこの手に抱きたい』という願いが叶ったと同時に、
『もうこれで自分の使命は果たせたぞ』という燃え尽き感があったのです。

え!?ワタシがこの子のお母さん?
何かフニャフニャしてるし…ちょっとしたことでスグ死んじゃいそうな儚さが怖すぎる!
でも『母親』のワタシがしっかり守らなくちゃいけないんだよね?
や…やばい自信ない……。むしろ自分もケアしてほしいくらいボロボロだから
誰かワタシの代わりに『母親』やってくれないかな…。

そんな弱気なワタシの目の前にいたのが、
妊娠中も、立ち合い出産時も、産後のお見舞いでも、
ムスコを第一に愛おしがり、可愛がり、優しく抱きあげてくれた、
『父親の自覚120%状態』の旦那でした。

――でも大丈夫だ!ウチにはしっかりした『父親兼母親』みたいな旦那がいてくれるから!――

振り返ってみると、このワタシの勘違いが産後クライシスにつながったのだと今ならわかります。

結果、産科を退院した後のことはこれまでに書いた通り全て旦那まかせ。

24時間休みなしのミルク→オムツ→寝かしつけのループ。
上手く寝てくれたら休憩する暇もなく自分たちの食事を作りながら溜まった洗濯物を回し、
やっと横になれるかな…と思う頃にタイミング悪く泣き出すムスコ…。
『どこか悪いところがあるのかな』『なにか病気のサインなのかな』と心配が尽きない毎日。
いざ育児をはじめようとしても、プレママとプレパパで分からないことだらけ。
里帰りもしてないので誰からのアドバイスも無く、母子手帳と育児書が頼みの綱。

出産してないんだから骨盤もホルモンも変化なしでピンピンしてるでしょ?
と思ってた旦那の体も心も『父親の自覚』だけではもう持たない所まで来ていました。

ワタシが出産で燃え尽きて、育児の過酷さに『産後うつ状態』となっていた時、
旦那も同じ過酷さに何とか耐えながら、不安や孤独をひた隠して無理していただけなのです。

そして旦那が遂にストレス爆発して泣いたとき、やっと
『あぁ、このままじゃダメだ!ワタシちゃんと『お母さん』にならなきゃ…!』
…と、目が覚めたのです。

そこから育児支援や、ヘルパーさん、保健士さん、精神科の先生らと関わりを持つようになり、
ワタシの産後うつ状態が回復していくにつれて旦那の負担も減り、ムスコも寝てくれるようになって、夫婦の関係は徐々に元に戻っていきました。

完璧にはいかない、それでもいい

そんなある日、ムスコが生後4か月ごろに旦那が朝6時に家を出たまま夜の11時まで仕事で帰らないという日があったんです。

9時―5時くらいの時間限定ワンオペ育児には慣れてきたワタシも、ほぼ丸一日を自分ひとりで面倒見るのは初めてのこと。朝起きて、既にもぬけの殻になっている旦那の布団を見ながら冷や汗が流れました。

ヘルパーさんも今日は来ないし、両親に来てもらうほど大袈裟なことじゃないし…でも自分ひとりでできるのか?大丈夫か!?

そんな時、ムスコがミルクを欲しがり泣きはじめます。

――いや、大丈夫じゃなくても大丈夫にするんだ!
いまムスコが頼れるのはワタシしかいないんだから!!――

そう自然と思えたとき、
あれ?今の自分なんか母親っぽくなかったか?…とビックリしたんです。

そしてムスコにミルクを与えながら、その安らかな表情を見て

――ワタシこの子のお母さんなんだ…。そっか…嬉しいなぁ…
有難うね、キミのお世話をさせてくれて、本当にありがとう…――

なぜか急に今まで抱かなかった愛おしい感情に包まれて、
ムスコの存在に感謝できるようになっていたんです。

それは妊娠中、ムスコの居るお腹に日々語りかけていた
『今日も元気に生きててくれて有難うね。キミが無事でいられるようお母さんは頑張るよ。』
という気持ちと全く同じものでした。

ずっとワタシは『母親』という存在を『完璧に子育てができる女性の称号』だと思い、
自分にはそんなん無理だわ…としっかり者の旦那にその役を押し付けて逃げ続けた『母親失格人間』だと思い込んでいたんです。

しかし、現実は他のお母さん達も皆、そんな急に聖母マリアのようなお母さんになれるわけがなく、
泣かれる度に「いい加減うるさいいい!」と毛細血管がブチ切れ、
オムツからウンチがはみ出る度に「ギャザー外に出し忘れてるぅぅぅう!」と嘆き、
何時間立ち揺らししても寝付かないムスコに「子ども用の睡眠薬があったらミルクに混ぜてぇぇぇ」なんて不謹慎な妄想に取りつかれながら、それでも、
『我が子が今日も元気に生きてくれるように出来る限りのことをする』毎日だと思います。

それがすなわち『母親』になることなんじゃないかとワタシは思ったんです。

 

そして生後6カ月も過ぎると、肩の力が抜けて育児をマイペースにできるようになったワタシに
旦那がニコニコしながら
「Chacco、ずいぶん『お母さん』になったねぇ~~」
と言ってくれたのです。

あまりにサラッと言われたので
「うっ!嘘だろ!!ホントは思ってねーだろそんなことぉぉぉ!」と訝しみましたが(笑)

「だってきんちゃん、お母さんのこと大好きじゃん!」と言われて、ふと腕の中に目をやると
ワタシを見るだけでニコニコと笑顔になるムスコの姿が。

それを見るだけで、もう
『生まれてくれてありがとう、お母さんはキミの命を全力で明日に繋ぐよ!!』と
母親エネルギーがチャージされます。

なので『完璧』とは程遠く、『理想』の『り』の字も叶えられてはいない自分の育児に対しても、
「うん!今日もムスコがすくすく育ってるから自分、母親業よくやれてるゼ…!」と
自信を持てるようになりました。

そして産後クライシスを乗り越えたからこそ
お互いの弱点や意外な一面に気付けた今は、
旦那とワタシ、『父親』と『母親』で協力し合い『チーム鈴木家』として
ムスコの成長をガッチリサポートする最高のパートナーになれました。

この先も育児についてまわる困難は、きっと数えきれないほどあると思います。
だからこそ、ワタシは『あの怒涛の地獄を乗り越えて旦那と共に親になったんだ!』という記憶を
忘れずに、大事に胸にかかげて自信をもって進んでいこうと思います!

つづく

フォトギャラリー「夫婦愛の破壊と再生」編 ~産後うつとの戦い~

 大手出版社から単行本を数冊発表し、現在は休業中の(元)漫画家。アシスタント業をメインにしながら、主婦業とお母さん業でも大忙しの毎日。夫である鈴木妄想とオタクトークで燃え上がるのも日課。息子の笑顔と各国アイドルのPVを見て癒されている。

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