会場が『ミュージックステーション』みたいに盛り上がった

 

2012年『Legend Tokyo』のステージより
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今人「X JAPANの『Rusty Nail』って曲に変えて、はじめてストーリー仕立ての作品を作ってやってみたんです。それがものすごく気持ちよかったんですよ。これまで色々な舞台で拍手やリアクションをもらってきましたが、あのときの衝撃がいちばんすごくて。

深夜のイベントだったので、それまでフロアのお客さんもみんな寝てたんですけど、梅棒が始まったらドカーンって盛り上がったんですよ。そこで、これは面白いかもしれないなと思って、そこからはずっとこのスタイルですね。

あと、『Rusty Nail』って曲の存在も大きかったです。あの曲はほんとにすごくて……自分の中でX JAPANとコブクロがそうなんですが、あの人たちって1曲の中で人生完結しちゃうような曲を作るじゃないですか(笑)。歌の中にも起承転結がありますが、起伏が激しすぎて過剰にドラマチックな感じというか。そんな楽曲のドラマ性に身を委ねて振り付けを作ったら、自然とあの作品ができたんです」
 

――そうして生まれた新たな梅棒スタイル、その初ステージを客席から見ていたのが、当時『関東大学学生ダンス連盟Σ』の会長を務め、初期の梅棒のこともよく知るTAKUYAさんだ。
 

TAKUYA「梅棒って元々はジャズダンスサークルなんですけど、当時はいわゆるストリートダンスをベースに踊っていたんです。自分は当時ストリートダンスをやっていたんですが、面白い音を使ってダンスをしていた当時の梅棒は、僕からすると面白みを感じつつも、“お遊び”に見えていた面もありました。

それがあの『Rusty Nail』から、急に変わったんです。ちゃんとジャズダンスで勝負するようになって、そこにストーリーが付いて、自分たちの武器を全面に押し出してきた。J-POPの曲を使って会場もすごい盛り上がって、照明さんも盛り上がっちゃったのか、ラストでバックサス(舞台後方から演者のシルエットを浮き立たせるために当てる強い照明)をやったりして。自分は2階席で見てたんですけど、作品のラストでメンバーのカッコつけたシルエットがバシッて決まった瞬間にフロアからすごい歓声が上がって、『なんだこりゃ、「ミュージックステーション」みてえ!』って思って(笑)。あれは衝撃でしたね」


――記念碑的な新生・梅棒の初ステージを経て、チームの活動は活発化。さらにさまざまな理由や動機で、現在の梅棒を形成するメンバーが集まることになる。

 

2012年『Legend Tokyo』のステージより
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たっちゃん「僕はメンバーになるまで、まったく梅棒のステージを見たことがなかったんです。自分は大学時代にダンスサークル『BAKUの会』で今人の1つ上の先輩だったんですけど、風のうわさで『なんか後輩が面白いことやってるよ』って話を聞いたことがあるだけで。

それで大学を卒業してしばらくしたころ、仕事でとある方のバックダンサーをやる機会があったんですけど、その振りが全然頭に入ってこなくて、すごく困ったことがあって。夜になると日芸の新校舎の前の広場に行って練習していたんです。その夜も練習が終わって帰ろうとしたときに、偶然ツルとTAKUYAに久しぶりに会って。そこはそのまま別れて家に帰ったんですけど、その後に今人から電話があって……」

今人「そのとき、梅棒はコンテスト出場を控えて練習をしていたんですけど、男のダンサーの人数を増やしたいと思っていたんです。でも梅棒のスタイルをちゃんと理解してくれるダンサーってなかなかいないので困っていたんですけど、『あれ、そういえばさっき、たっちゃんいなかった?』って話になって(笑)。同じダンスサークルで苦楽を共にしてきた仲間だし、彼がピッタリだろうと思って、すぐに電話したんです。

『実は俺たち、今度大きなコンテストに出るんですが、結果を残すためにはどうしても人が必要で、とても困っているんです。で、それとは全然別の話なんですけど、たつひこさん(たっちゃんの本名)も大学を卒業されて舞台やダンスで活躍されていますが、もっと実力を評価されるべきだし、もっとたくさんの人に見てもらえる大きなステージに立つべきだと思うんですよねぇ。……で、たつひこさん、僕たちになにか言いたいことはないですか?』って(笑)」

たっちゃん「それを聞いて、とりあえず一回電話を切って考えたんですが(笑)、でもすぐ電話して『梅棒に入れてください』って言いました。実は、そのときやっていたバックダンサーの仕事が終わったら、もう次は踊らないんだろうなあ、もうダンスは辞めようかなあ、って思っていた時期だったんですよ。それも含めて、すごいドンピシャなタイミングだったんですよね」