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保育園の先生は「誰にでもできる」?はたまた独身子なしは「半人前」?
樋口:保育士さんというのは、本当に、尊い仕事だと思います。保育士さん一人当たりで、いったい何人のちっちゃい子たちの面倒、お世話をしているんだって思うと、自分にはできないなって。
なのに「誰にでもできる仕事だから給料が安いんだ」とか言う輩がいるんです。堀江貴文さんね。
その時も言いましたよ、妻に。「お前もそうだけど、東大出てもバカはバカだな」って。
――樋口さん、辛口ですねぇ・・・
樋口:誰にでもできるというなら、1時間でもやってみなさいって。まずは一対一から、ミルクをあげたり、泣いたらあやしたり、オムツ取り替えたり、やってみなさい。
でもだからといって、「結婚していない人は人間として未熟だ」とか、「親になったことのない人は人として成長していない」とか思ったりしたら、それは慢心というものですよ。
自分は育児がいい経験になっているし、糧になっているとは思うけど、根っこは変わっていませんから。相変わらずワガママで「自分のやりたいことはやらしてもらいますよ」って思っている人間だし。
ツイッターで出会ってから、妻と小さな子どもと暮らしているワケですが、もし妻と出会っていなかったら、いまだに気ままなバツイチ生活を送っていただろうと思うし、何かのタイミング、ボタンの掛け違えでも、違っていたでしょうね。
子どもを授かった経緯にしたって、妻とは順調に、自然に妊娠となりましたが、何らかの事情で、授からなかったかもしれない。
いろんな事情がある。ほんとに、さまざまな事情がある。他者への想像力が欠けているのに、「あいつらは甘えてる」とかそういうの、大嫌いですね。
ちょっと前に論争になった、熊本市議の子連れ議会の問題にしたってそうです。
――それは、どういった意味で?
子連れ議会はNG?「ママが何とかすべき」と思い込まされていませんか
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樋口:日本は遅れてますよ。
マスコミの伝え方も、まるで「熊本の市議会に、こういう“困った人”がいますよ」みたいな。
カナダの議会で、女性の議員が赤ちゃんを一緒に連れてきている例だってあるじゃないですか。もう20年前に。それが僕は当たり前だと思うし、文句を言う人とか、気が知れないですね。もちろん職種にもよりますが。
――ただ実際のところ、働くママたちからも「頑張っている自分たちからしたら、あんなやり方をされたら迷惑」という声もあるようですが。
樋口:僕が一番イヤだったのは、つるの剛士さんがツイッターで「こういう問題提起の仕方は本当に悩んでいる働くママ達や子供が結局一番可哀想な思いをしてしまうんじゃないかなあ、と思いました」って書いていました。
1955年に黒人女性のローザ・パークスが、当時のバスは白人しか前の方に乗れなかったところを、ムリに乗ろうとしたら嫌がらせを受けて、それに対して「こういうことをしたら本当に困っている黒人もいるんじゃないか」って言っていた、当時の一部の白人と一緒。一見優しさと正論を振り翳して、分断を狙っているだけ。悪意がありすぎる。
育児“あるある”でも、よく聞くじゃないですか。共働きで、どちらにとってもすっごい大事な日で、その日は絶対に行かなきゃいけない仕事があるのに、そういう日に限って子どもが熱を出すとか。
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僕ら夫婦は、妻の実家は遠方ですし、僕の母は都内にいるけど孫の面倒を見られない。「今日くらい子どもの面倒を見てほしい!」という日があっても、無理なものは無理なんですね。
そんな状況のお父さんお母さんに、すべての場ではないにしても「いざとなったら、子連れで来てもいいよ」という選択肢があるだけでも、その恩恵に実際にあずかるかどうかは別として、感じるプレッシャーは全然違う。
お母さんたちだって、ずっと、社会に出やすくなる。
ものすごい重圧の中、頑張ってこられた女性からしたら「私はもっと苦労したんだから!」という考えもあるのかもしれません。
でも子育てをするのに「不要な苦労が必要」という考え、僕はそれもおかしいと思う。「苦労してなんぼ」みたいな。
「子育ては自己責任で、社会に甘えちゃいけない」とか。
そうやって「差別」するの、もうやめませんか?
――樋口さんの小説にはいつも、戦争や災害の後に「差別」される人たちが描かれていますが、そんな世界観にも通じるところがあるのでしょうか。