悪意のない相手には、考えることを促してみる
「あなたが理解できない」と伝えることを、「自分の気持ちを正直に言った」「これが本音」とする人もまた大勢います。
違う人間同士なら片方がどんなに努力しても気持ちが伝わらないのは仕方のないことで、話し合いに疲れてこんな言葉を悪意なく吐いてしまう人もいるでしょう。
一時的な怒りに囚われて拒絶でしかその場を乗り切れない人も見聞きしますが、こんなときは「じゃあ考えてみてね」と促すのが最善です。
問題は「そもそも理解する気があるのかどうか」であり、相手がこちらと向き合う気があるかを知るためにも、考えることを促していったん話し合いをやめます。
「考えてみてね」と言われたら相手はそうするしかなく、「どうして考えないといけないのか」とそれすら拒否したり、「理解できないのは仕方ないだろう」とその自分をよしとできたりする人なら、お付き合いを考え直すのが正解です。
関係は対等であり、コミュニケーションの労力は互いに割くのが誠意です。
つながりを本当に大切に思うのなら、「考えてみてね」と言われたら自分が吐いた言葉が返ってきたことを知り冷静さを取り戻すはずで、心と状況を仕切り直して次の話し合いができます。
理解には話し合うこと、会話することが不可欠で、お互いにそれを避けない姿勢が居心地のいい関係にはあります。
相手に「考えることを促す」のは、理解のための「コスト」はふたりが同時に負うものだと知ってもらうため。
理解させてもらう側にいるのではなく、みずからも知ろうとする姿勢があるかどうかが重要です。
衝突したときこそ、自分が対等を忘れない姿勢が不毛な依存を避けられます。