キーワードのひとつとして“孤独感”というのはありました。
――少年Aの手記に書かれていたことを活かしたところなどもありますか?
「具体的にはないです。ただ、キーワードのひとつとして“孤独感”というのはありました。
自分のことを誰にも分かってもらえない。そんな“孤独感”からキャラクターを作っていったところはありますね」
――鈴木は生田斗真さんが演じられた益田と出会ったことで少しずつ変化していきます。
生田さんは「鈴木を救うためにどれだけ一生懸命話しかけても、瑛太さんがどこを見ているのか分からない目をしているから無力感を感じたし、悲しくなった」と言われていましたが、瑛太さんは生田さんの芝居とどんな思いで対峙していたのでしょうか?
「僕は限りなく、動かされないようしていました。斗真の芝居をもちろん見ているし、受けていますけど、それによって変化はしない。ブレないようにしようと正直思っていました。
表情が変化することはあるんですけど、それは心が動くということではないので、感情の揺れ動きはあまり出さないようにしましたね」
――それだけに、益田から「俺たちも(酒を)飲もっか。お金もないし、天気もいいし、公園で」って誘われたときの、「コンビニでつまみでも買って」と嬉しそうに微笑む鈴木が印象的です。
「そうですね。友だちと言うか、男同士が知り合って、少しずつ距離が縮まったり、信頼関係が生まれてくる流れの中では、どんな背景がある人間でも笑うような気がして。
鈴木にもそういうところがあってもいいんじゃないかなと思ったので、あんな感じでやってみました」
――これはネタバレになるので詳しくは書けませんが、鈴木はあの夜の公園のシーンの最後にある矛盾した本当の気持ちを告白します。あのセリフは自然に言えました?
「どこかで言わなくてもいいんじゃないかな? という気持ちもあったんですけど、映画を見ている方に伝えなければいけないこともあるし、ずっと黙っていたら、ストーリーが進んでいかないですからね(笑)。
それに、瀬々監督が書かれたあのセリフが僕はやっぱり好きなので、そこは真摯に表現させていただきました」
――瀬々監督とは『64-ロクヨン-』でもお仕事をされていますけど、芝居を超える芝居や枠にハマらないような芝居を求められるそうですね。
「そうですね。今回のラストシーンなんかもそうで、芝居なんですけど、何か見たことがないようなものを瀬々さんは求めてくることがあると思うんです。
『64-ロクヨン-』のときも(佐藤)浩市さんと対立する僕に『どれぐらいの迫真でぶつかれるんだ?』と枠にハマらないような芝居を求められていたと感じていました」
『友罪』で鈴木を演じ終えて変わったところ
――『友罪』で鈴木を演じ終えて、瑛太さんの中に殺人を犯した人間に対する考え方や意識が変わったところはありますか?
「そういう問いを投げかける役目なので僕には明確な答えはないけれど、最初にも言った通り、人間も動物だし、原始時代から相手を殺してでも生き延びなければいけないという行為を繰り返してきているわけですよね。
いまも現実に、戦争をしている国があるし、人が人を殺すという行為はずっと続いている。
それこそ、例えば自分の子供が誰かに殺されたら、僕の中にもきっと殺意が生まれるだろうし、どんな人でも状況次第ではそうなる本能を持っている。
その可能性はゼロではないような気がしています」