そんな文化系女子について、同書では、湯山氏の友人であるミュージシャン・作詞家・音楽プロデューサーのサエキけんぞうさんの意見が紹介されています。サエキさんの若い頃は、周囲にナゴムギャルだったりニュー・ウェイブが大好きな文化系女子がたくさんいたそうです。ですが、サエキさんはじめ文化系男子は、彼女たちを恋愛対象から外していました。彼らは、自分と話が合う女性が好きかと、そうではなくて、リア充側の女性が好きだったのです。
「同じような例としては、文化系女子ばかりでなく文化系男子にも人気で、彼らのナイーブな心象風景を歌って共感を得ている人気ミュージシャンも、雑誌のインタビューで、リア充女子を支持することを表明し、ネットで話題になっていました。本当は男性と親密になりたいのに、その努力をしない自分を棚に上げて、努力して可愛くなろうとする人をバカにする女子の態度について、不快感を表明していました。もうおわかりでしょうが、彼の気に障ったのは、文化系女子のイメージにもかなり近い、こじらせ系女子と称される非リア充な女性の典型的ふるまいです」(同書より)
多くの文化系女子は、男性受けのために化粧をしませんし、おしゃれもしません。男性の好みに自ら擦り寄ることがないので、実際にそれをやっている女性に対して嫌悪感を抱くのです。その分、自身からエロスを排除し潔白でいられるのでしょう。
しかし、湯山氏は、その状態に問題があると指摘します。
「女性がキモいオタク男に感じる嫌悪のひとつに、エロスの封じ込めがありますが、同じような気持ち悪さを男性は文化系女子に感じているのかもしれません」(同書より)
湯山氏の言葉を受け、納得している女性や男性は少なくないのでは。無理な封じ込めは不自然な姿となってあらわれるのです。
文化系という居場所は大変居心地が良いのでしょう。居場所というものは暖かく、優しく、心地良い場所。しかし、その文化系を逃げ道や居場所として閉じた形で扱ってしまうと、文化教養が持っている、もっと爆発的に素晴らしい力を体感することなく一生を終えてしまうと湯山氏は危惧しています。
「自分の違和感がある文化教養に出合ったときが、最大のチャンス。自分の知っている世界を遥かに超えたところにある理想や、自分の考えていることは本当に正しいのかと自省が始まるような境地が、文化系が本来一番力を発揮するところなんですよ」(同書より)
モテにこだわってみたり、エロに正直になってみたり、攻めた文化系女子こそが、本物の文化系女子と言えるのではないでしょうか。文化系女子の皆さんには、今いる場所で甘えるのではなく、一歩先に進んでみることをオススメします。