「子どもは褒めて育てよ」とよく耳にしますが、それでも叱らないで子育てすることなんか不可能ですよね。その中で子どもを叩いてしつけることは…やっていいことなのでしょうか、ダメなことなのでしょうか?
『「テキトー母さん」流子育てのコツ』の著者の立石美津子がお話します。
よその子を叩いて注意することなど、まずあり得ません。けれども、我が子に対しては誰しも、“親として子どもを立派に育てる責任”があるので「子どものためを思って」の愛情から子どもをしつけます。
その中で時には叱らなくてはならない場面も当然、出てきます。そんな時、子どものお尻をペンと叩く行為。子どもはどう感じているのでしょうか。
体罰を正当化する派の気持ち
“子育ての連鎖”と言う言葉があります。「人は自分が育てられたように我が子を育てる」という意味です。
自分自身が身体的虐待などの暴力を受けて育ったという親は、その経験から「子育てには体罰が必要」という、体罰を肯定的にとらえる養育観を持つことがある。こうした養育観を背景に「言ってもきかないときには叩いてでも教えるのが親の務め」といた具合に体罰をともない「しつけ」を日常化させやすい出典『子ども虐待 (講談社現代新書)』
「言っても従わない場合は、叩いてでも教えるのが親の務め」という価値観が、幼い頃に育てられた経験を通して沁みついています。自身の親を否定したくなく、「自分が叩かれるのは自分が悪いことをしているからだ」と健気にも思っていた過去の自分がそこにはいます。
更に「厳しく育てられたからこそ、今の自分がある。だから叩いてくれた親に今は感謝している」とまで思ってしまいます。このように「自分の人生を肯定したい」という想いがあるため、体罰を良しとしてしまうのかもしれませんね。
でも、自分の親の子育てを否定するのは辛いことですが、どこかでこの“負の連鎖”を断ち切らなくてはなりません。
ママだって人間
子どもが言うことを聞かないとき、脅迫してみたり、手が出てしまったりすることありますよね。親ならば誰しもイライラがピークに達して感情がブチ切れてしまうことがあります。
でも、「子どもは犬猫と一緒だから叩いてもいい」、「頭は叩いてはいけないけれどもお尻だったらいい」と考えてしまうのは?
子どもは本能で「やっていいこと、悪いこと」を知ってこの世に誕生するわけではありませんから、親が教えていかなくてなりません。しかし、本来、しつけとはルールを一つ一つ丁寧に教えていくことです。力づくで言うことを聞かせることではありません。
例えば…
ピアノのレッスンを嫌がっている子どもに対して「ピアノの練習をしないんだったら夕飯抜きよ」とか「今度の誕生日プレゼントはなしよ」と言葉の暴力で脅したり、叩いたり…。
こうなると子どもは幼いうちは親よりも弱い立場ですから、恐怖を逃れるために練習するかもしれません。
けれども、これで「厳しくしつけて罰を与えた方が子どもが反省する」と思っているのは親の錯覚です。子どもは「ピアノをさぼるのはよくないことだから、これからは改めよう」とは残念ながらならないのです。もしかして、音楽そのものが嫌いになってしまうかもしれません。
これで子どもが大人の言うことを聞いたとしても、それは「僕は本当にいけないことをしてしまった」と反省している訳ではなく、“痛いから”“怖いから”しぶしぶ従っているだけなのです。