NYメッツの本拠地「シティ・フィールド」のまわりに広がる自動車部品のジャンクヤードで生きる人々を活写している。どこからやってくるのか次々と中古車が運び込まれ、スクラップされると部品に分けられ、その部品を求めてどっからともなく客が押し寄せてくる。そこに集うのは、グレーゾーンの仕事で世間を渡り歩くカップルや、毎日小銭をせがむ老女など、今を逞しく生き抜く市井の人々。再開発計画で街が消滅へカウントダウンが始まる中、彼らの顔は意外にも明るい。
金融の中心、カルチャーやファッションの発信地という世間一般にあるニューヨークとはここはもう別世界。ウォールストリートの成功者とは真逆、都会の片隅で生きる労働者の姿を目撃することになる。そのいままで見たことのないニューヨークの顔にはただただ驚されるに違いない。
2013年に発表された『マナカマナ 雲上の巡礼』は、ユニークなチャレンジに満ちた1作。
焦点が当てられるのは、建物そのものは出てこないのだがヒンドゥー教の聖地であるマナカマナ寺院。ネパールのジャングル奥深くにある、同寺院はヒマラヤを望む雲上にある。かつて巡礼者たちはそこまで3時間をかけ歩いて向かった。でも、いまは便利なロープーウェイが出来て片道10分で到着。作品は、そのロープーウェイ内にカメラを置いて、乗った人々の10分の道程をワンカットで記録する。浮遊するロープーウェイのカプセル内は、終始無言の人もいれば、アイスを食べる女性、ときには運搬される動物も。そんな彼らの背後には、息をのむほど美しい大自然のパノラマが広がる。巡礼者たちと向かい合わせで同情しているような錯覚に陥る映像は、ちょっとしたショートトリップが味わえることだろう。
今回、再上映される『リヴァイアサン』は、トロール船に同乗した1作。漆黒の海で数週間続く危険な漁の毎日が映し出される。すでに見た人はおわかりと思うが、この作品で際立つのが衝撃のカメラアングル。もはや漁で捕らわれた魚たちの目と同化したようにしか見えない視点で切り取られた映像は、人類の残虐さと容赦なさを我々に突きつけるはずだ。
日本人が知らない“日本”に驚く『和食ドリーム』『宮古島トライアスロン』
<ハント・ザ・ワールド>がまだ見ぬ世界を知る特集であるならば、すずきじゅんいち監督が相次いで発表する『和食ドリーム』と『宮古島トライアスロン』(共に4月11日よりテアトル新宿ほか全国順次公開)は日本人が知らない“日本”を知ることに衝撃を覚えるに違いない。
『東洋宮武が覗いた時代』『442日系部隊』『二つの祖国で』の日米合作三部作で、これまである意味、日本人の歴史から消されていた“日本人の知らない日本”といっていい日系アメリカ人のドキュメンタリーを発表してきたすずき監督だが、今回はユネスコ無形文化遺産に登録された“和食”をキーワードに日本人の知らない日本を紐解く。
「日米合作三部作で描いた日系アメリカ人の歴史は、拠点をアメリカに置いたとき、恥ずかしながら僕自身初めて知ったこと。当時を知る人は高齢になり、残された時間は少ない。“いま彼らの言葉を記録しておかないと、日本人として知っておかなくてはいけない歴史が忘れ去られてしまうかもしれない”。そんな想いから三部作はすべてスタートしています。実は『和食ドリーム』も出発点は同じなんです」。
ここで、すずき監督が目を向けたのは、ひとりの和食のパイオニアだ。
その人物とは、共同貿易会長の金井紀年氏。アメリカに寿司が根付く未来予想図を描き、いまから50年も前から日本から寿司ネタを空輸してきた彼は、アメリカにいち早く寿司を普及させ、今に続くブームを作った人物だ。
「こういってはご本人に失礼ですけど、90歳をすでに超えた金井さんの功績と言葉を記録しておくには今しかないと思いました」。
その金井氏を中心にしながら、世界に和食を広めていった料理人、和食の極めた一流の料理人たちを取材。日本食レストランNOBUの松久信幸、銀座久兵衛三代目の今田景久ら、和食の料理人たちが次々と登場する。
「うれしいことに皆さんほんとうに協力的で、惜しげもなくその技術を披露してくれ、自らの信念も語ってくれました。非常に奥深いお話ばかりだったのでカットするのが惜しくて、編集はほんとうに頭が痛かったです」。
こうしてまとめられた作品は、“よいネタが流通しなければ和食文化は育たない”という信念のもと、金井氏が切り開いたといえるアメリカでの和食文化の広がりの過程がみてとれる。これはまた日本人の知らない日本といっていいだろう。
「金井さんをはじめ、ここにご登場してくださったアメリカの日本食レストランの料理人たちがいなかったら、アメリカでこれほど和食が認知されることはなかった。もっと言うと、これほど“和食”が世界に広がることもなかったのではないか。そうなると和食が無形文化遺産に登録されたかも定かではない。彼らのアメリカでの活躍がなかったら、和食はいまどうなっていたのだろう? 取材を通じて、そんなことを考えました」。