細田守監督『バケモノの子』©2015 THE BOY AND THE BEAST FILM PARTNERS

細田守監督が描く「少年の成長と心に抱える闇」

――今作では、九太をはじめとする成長期の若者が抱える心の闇が描かれていました。細田監督の過去作では、どちらかといえば快活で明るいキャラクターが多い印象でしたが、今回このようなキャラクターが生まれたのにはどのような経緯があったのでしょうか?

齋藤:『バケモノの子』では、少年が青年になり、やがて大人になっていく、という成長の物語がひとつの軸となっています。子どもが成長し、アイデンティティーを形成していく過程の中で抱く闇……それは言わば、思春期特有の葛藤や「自分は何者なのか」という不安や問いを意味しているのだと思います。たとえば、僕の実家の壁には今でも、高校生のころの行き場のない思いをぶつけて空いた穴が残っています。いま、その穴を見ると「あぁ、自分にもこんな時期や成長のプロセスがあったんだな……」なんて思うのです。

――私にも似たような経験があります(笑)。今でこそ笑って振り返ることができますが、当時の自分には大ごとだったりしましたよね。

齋藤:子どもの世界というのはある意味、狭く限定されているところがあって、大人になった私たちからすれば何気ない出来事であっても、世界が終わってしまうくらい重大な問題に思えてしまうことだってあります。しかし、だからこそ、その時にしか得られない大切な学びもたくさんあるのではないでしょうか。そんな思いもあり、『バケモノの子』では、九太たちの闇を「誰もが成長のプロセスで抱くもの」として、肯定的に描いています。

――確かに、アニメーションに限らず、物語の題材として闇が登場すると、それが善なのか悪なのか、ということばかりに目が行ってしまいがちですが、『バケモノの子』ではすべてが肯定的に描かれていますよね。

齋藤:子どもたちが大人になる過程で抱く当たり前の葛藤を私たち大人が肯定し、祝福してあげる。それはこの作品のテーマのひとつでもある「我々大人や社会が子どもたちの成長と未来に対して何をしてあげられるのか」という問いかけに対するひとつの解のようにも思うのです。

細田守監督『バケモノの子』©2015 THE BOY AND THE BEAST FILM PARTNERS
――なるほど。劇中では、熊徹の悪友である多々良や百秋坊が九太の成長を見守る姿も印象的でした。温かく、時に厳しいふたりの姿には、“古き良き時代のお節介焼きなご近所さん”という雰囲気もあって(笑)。

齋藤:まさにそうですよね。多々良や百秋坊は無責任な親戚のおじさんや、隣の家のお兄さんのような存在かもしれません。彼らも熊徹とはまた違った距離感で九太を温かく見守り、彼の成長を祝福し、そしてともに成長していきます。多々良や百秋坊を見ていると、たとえ肉親ではなくても子どもの成長に主体的に関わり、見守っていくことで、本来では味わえない子育ての充足感や、ある種の人生の豊かささえも味わえるのかもしれないと気付かされます。