キャラクターの存在の仕方が異様
さぁ! キャラクター! キャラクター!
叩き売りみたいに言うなよ。
音楽と同じように、同じキャラクターでも作品によって描かれ方が全然違うんだよね。
キャラクターもそうなの?
同じキャラクターでも、作品ごとに強気だったり弱気だったりクールだったりサイコパスだったりするのよ。
……なにそれ、混乱しない?
多少の賛否はあってもその全てが受け入れられてはいるし、そういうのが当たり前になってる。
原作ではキャラクターに関する必要最低限の情報しか与えられないから、そこから二次創作者がそれぞれの理想のキャラクター像を付与していくのよ。
ほ、ほう~。そりゃまた変なことになってるね。
それでここからが本題なんだけど。
まだ本題じゃなかったんだ。
既に変だぞ。
東方は、二次創作作品で描かれるキャラクター像が、そのキャラクターのオフィシャルなイメージに影響を与えることが凄いのよ。
その結果キャラクターの存在の仕方が異様なことになってるんだよ。もう俺は感動的ですらあると思う!
ムズい!よく分からない!
もうちょっと分かりやすく!
そうだな……
もうね…パンッッッッッッッッッパンなの!!!!
え?
パンッッッッッッッッッッッッッッッッッッパン!!!!!!
余計わからなくなった。助けて。
キャラクターのイメージの作られ方が変すぎる
例えば、東方の主人公で博麗霊夢(はくれい れいむ)っていうキャラクターがいるのね。
おっ、主人公。
当たり前の話だけど、東方を知ってる人がこのキャラに持ってる「イメージ」というものが存在するじゃん。
うんうん。
次にワンピースの主人公のルフィがいるじゃん。
おっ、ゴム!
同じようにワンピースを知ってる人がルフィに持ってる「イメージ」も存在するじゃん。
そりゃするね。
この「イメージ」の作られ方が全然違うって話なんだよね。
またわかんなくなった
頑張って聞いてくれ。
まずルフィのイメージを作ってるのは、ちょっと強引に言い切っちゃえばワンピースという1作品じゃん。原作者の尾田栄一郎という1人の人間がルフィをどう描くがで、イメージが左右されるというか。
うん、わかる。
それに対して東方の博麗霊夢というキャラクターのイメージを作ってるのは、とてつもない数の二次創作作品なんだよ。原作者1人だけじゃなくて、とてつもない数の人間によってキャラクターのイメージが作り上げられてるのよ。
おお、なるほど!わかったわかった!
……いやでも、そんなことある?
原作者以外がそのキャラをどんなキャラか決めていくってありえなくない?
それが起きているのが東方なんだよ、原作ももちろん重要だけどね。
作品ごとに1体1体違う性質を持つ博麗霊夢なのに、最終的には1つのイメージに集約されていくんだよ。
で、それを踏まえて博麗霊夢というキャラクターを見ると感動的なのよ。そしてパンッッッッッッッッッッパンなの!
出た、何がパンッッッッッッッパンなのよ。
考えてもみてくれ、このキャラが登場するおそらく万にも及ぶ全ての二次創作作品が博麗霊夢というキャラクターを形成してるんだよ?
本来1体のキャラクターが背負えるはずのない物語の量、とてつもない数の人間の創作に対する熱量、そしてとんでもない量のオタク達の汗が、この博麗霊夢の中にパンッッッッッッッッッッパンに詰まってるんだよ。
最後気持ち悪いの混ざったけど、パンッッッッッッッパンってそういうことか。
確かにパンッッッッッッッッッッッッッパンかも!
1人の人間の創作活動によってキャラの厚みが増してく感動とはまた違った感動がここにはある。博麗霊夢というキャラクターを成り立たせている存在の圧倒的物量にもう何か感動して涙出てくるんだよ!
急に泣かないでくれ、動物たちが見てる。
猿がものすごく馬鹿にしてる。
この世からバナナ消してやろうかな。
…いやでも、今の話って猿みたいなものなのよ。
どういうこと?
ここにいるサルたちも1匹1匹違う存在なのに、最終的には1つの「サル」というイメージに集約されるじゃん。
確かに、トータルで「サル」って捉えてるわ。
根本的な仕組みはそれと一緒なんだけど、これって創作物ではほとんど起こってないことだと思うんだよ。
そういう意味でキャラクターの存在の仕方が普通じゃないってことなんだよね。
凄いこと起きてない??
いや、凄いこと起きてるわ・・・
最終的に猿でまとめるのはどうかと思うけど。
結論、東方は猿。
怒られてしまえ。