1月27日に『NEVER SAY NEVER』をリリースするJin-Machine。今回はベースのブッシュドノエル・水月・アリッサさんのパーソナルロングインタビューです。
ブッシュドノエル・水月・アリッサがJin-Machineに加入した経緯とは?
――改めて水月さんのことを伺いたいんです。Jin-Machineとの出会いのきっかけから聞かせてください。
水月:初めてJin-Machineとしてステージに立ったのはちょうど6年前ですね。確か、今くらいのクリスマスの時期だったんですよ(※収録は12月下旬です)。
ただその以前にもJin-Machineとは対盤したりはしてたんです。
――ブッシュドノエルだけに…。その時は水月さんは普通の…というと語弊があるかもしれませんが、正統派のヴィジュアル系バンドで?
水月:それはもちろん。ジンマに入るまでは正統派でしたから私は(笑)。
――ではそのときのJin-Machineの印象は?
水月:「最悪」ですね!
――(笑)。
水月:あはは。特に自分の場合は元からヴィジュアル系っていうジャンルが好きでやってたし、当時はちょっと今より自分自身の中で尖った部分もあったりして、真面目に言うと(Jin-Machineに対しては)「ウチら真剣にやってんだから、ネタにしないでくれ」みたいには思ってました。
…なんですけど、しばらくしてから、あっつさんやひもりくんのバンドとも対盤したりして、ひもりくんも元々(Jin-Machine加入前から)ヴィジュアル系のサポートもしていたので。
で、キム君とも普通に対盤したり一緒にセッションしたりしてて、当時は別のバンドをやっていた今のメンバーたちも、当時居たJin-Machineのメンバーも交流はあったし人としては嫌いではなかったんで。Jin-Machineっていうバンドは嫌いだったんですけど(笑)。
――そこからはJin-Machineに加入する経緯はどのようなものだったのでしょうか。
水月:たしか「急遽ベースの人が体調不良だとかで出れなくなったから」みたいに頼まれたんです。6年前にやったときは単発だったんですよ。で、そんとき1回だけ、手伝ってくれって言われて、一晩で曲を覚えて…。
で、それからちょっとして、多分何度かバンドでもネタにしてると思うんですけど、ある日ベースの人がバックレたという…。
それで加入することになったんです。最初サポートだったんですけど。当時は、自分のヴィジュアル系バンドをやってたんで、そっちメインにして、ジンマはサポートでって感じでした。その頃は結構他のバンドのサポートしたりとかしてたんで。頼られるのは嬉しいし「困ってるのなら手を貸すよ」くらいのスタンスでした。
――それは正式加入につながったきっかけは?
水月:初めての東京ワンマンの時にってことになるんでしょうけど…というか、今までのJin-Machineのメンバーが、メンバー全員正式メンバーって感じじゃなかったんですよ。多分16さんが元々芸人だったっていうのもあると思うんですけど、メンバーが正式だとか正式じゃないとかあんまりこだわりがなかったようなんですよね。
だからfeaturing16さんから「加入してほしい」みたいな話は一切されなかったですね。
それにその頃のジンマってもう今のメンバーになっていて、音楽的にすごいしっかりしてるバンドだったんで、やりがいがあると思うようになっていました。
その時には既に自分も他のバンドをやっていなかったし、それにせっかく東京でワンマンやるんだから、サポートっていう形よりかは正式でやった方がいいなくらいの流れです。
――地元だけじゃなくって東京でライブをできることに対して憧れみたいなものはありましたか。
水月:もちろんそりゃあもう…、まあ地元を出てワンマンするっていうことはやっぱり大きかったです。
――今でこそ全国でワンマンされていますけど、駆け出しの頃は地方のバンドが東京へ来ることもなかなか難しいじゃないですか。
水月:そうですね。今でも、東京でワンマンができるっていうのはすごい幸せなことだと思いますし。ほんとに自分達の力だけでは絶対できないことだと思うんで、来てくれるお客さんもそうですし、色んな方の協力があってできることなんで、本当にありがたいことだと思います。