「裕福でも貧乏でもどっちでもいい。
あっていようが間違っていようが、親の価値観なり善悪の基準を幼少の頃からちゃんと浴びて、物心ついた時に親の躾に疑問を抱くのか?はたまた賛同するのか?
その試行錯誤の中で自分探しをキチンとしているのかどうか?」
出典(『スジ論』坂上忍)
これは前出の友達親子にも通じる指摘です。
やはり、親の価値観や善悪の基準を押しつけるくらいにぶつけるからこそ、子どもたちは、自分で考え、それを否定・肯定するように行動するのです。
そういった押しつけがないまま、何もかも肯定的な態度を取られたら、自力で何かを探そうとするモチベーションがなくなってもしかたありません。
友達親子のような関係は言語道断ですが、やはり親として厳しく躾けることで、子どもたちは自立していくのです。
子どもへの愛情はもちろん必要ですが、それが見栄えの良いものばかりではいけません。時には心を鬼にして、人生の先輩として子どもにしかり飛ばすことも必要なのです。
坂上さんは、親としてすべきことを同書で語っています。これがまた、刺さるのです。
「わたし達オヤジに課せられた義務は、あっていようが間違っていようが自身の価値観を伝える、時に押しつけることなんじゃないかってね。
で、それ等が今時の若者達もひとつの目安になって、彼等が自分なりの善悪だったり生き方を探せばいいんはないかと」
出典(『スジ論』坂上忍)
厳しいなかにも優しさがある坂上さんの言葉。友達親子の関係になってしまっては、大切な自分の子どもに、この「目安」を教えることができないのではないでしょうか。
子どもたちが可愛いのは、どの親にとっても同じ。ですが、どこかで嫌われる覚悟ができていることも、親に必要な能力なのかもしれません。