手描きの作画と3DCGを駆使したデジタルアニメに定評があり、さまざまな作風の作品を手がけてきたアニメスタジオ・GONZOが2017年で創立25周年を迎えます。
今回は1998年の『青の6号』に携わり、長年GONZOに在籍して数多く作品を手がけてきた千明孝一監督に、代表作である『LASTEXILE』や『ブレイブ ストーリー』を中心に、当時を振り返ってのお話を伺いました。
GONZOの名作がどのようにして作られてきたのか、現在のアニメにも通じるデジタル技術のお話など、アニメファン必見の内容です!
GONZO最初の大作にして、初のフルデジタル作品OVA『青の6号』
――1998年に発表されたGONZO最初の大作であるOVA作品『青の6号』で監督は各話演出とデザイン回りをご担当されていますよね
千明:全話の各話演出です。デザインはちょっとですね。
――アニメ業界でも初となったフルデジタルアニメ『青の6号』の制作に参加する経緯からお伺いできればと
千明:僕はマッドハウスに何年かいたんですけど、そこを辞めてフリーになって最初に演出になったのが安彦良和監督の『ヴイナス戦記』という作品だったんです。
助監督という立場をやらせて頂いたのですが、そのときの制作だった中島伸治さんがGONZOに移って「前田真宏監督の『青の6号』という作品で、演出を探しているのでやりませんか?」って誘ってくれたのがきっかけですね。
でも最初は断ろうと思っていました。
――なぜ断ろうと?
千明:「ヴイナス戦記」の直後に、自分よりもキャリアがある人のコンテを演出する機会があって、そのときに預かったコンテを演出処理して、出来上がったものを一緒に観た時に、その人から「違うんだよね」ってぼそっと言われたことがあって。それがショックだったんです(苦笑)。
そのときに二度と自分で書いたコンテ以外は演出(処理)はやるまいと思って、以降は自分でコンテを切って演出の仕事をずっとやっていたので、一度は断りました。
それでも粘る中島さんが「これからはデジタルの時代だから、これは絶対やったほうがいいですよ」って。説得されました。
――フルデジタルというところが大きかったのですか?
千明:初のフルデジタル作品で、前田監督だということで、受けることにしました。
マッドハウス在籍時に『帝都物語』という、りんたろうさんが総監督で各話監督制のOVAがあったんですけど、そのときに前田さんがデザインで入られていて、打ち合わせで何度かお会いして、デザインを見てすごい人だなと思いました。
――フルデジタルというところで、工程部分をお伺いしたいのですが、3DCGの導入はもちろん、作画もデジタル処理で撮影していたのでしょうか?
千明:今では当たり前になっていますけど、当時のアニメはセルで作られていたじゃないですか。手描きで紙に原画と動画を描いて、セルロイドに転写して色を塗っていくという。
僕は演出だったので「撮出し」という1話あたり約300カットを撮影の工程に入れるための作業もしていました。
レイアウトを決めて背景美術の上にセルを載せて、タップ位置を決めて撮影に出すという作業なのですが、1日とかひと晩でやらなくてはならないすごく大変な作業でした。
そういうことをずっとやっていたのですが、『青の6号』は全然違うんですよね。まずその「撮出し」がない。セルも触らないし。
――原画は手描きで、部分的にデジタルを導入している作品はいくつかあったと思うのですが、当時としては画期的ですよね
千明:マッドハウスのときも撮影台を使っていましたし、完全に撮影をPCでやっている作品はなかったんですよ。
撮影台って基本縦横にしか動かないので、制約が大きいのですが、逆にその制約の中で演出はなんとかしようとして発展したんだと思います。
セルはたくさん重ねると濁ってしまう(注:線や色がぼやけて見えること)のですが、デジタルでは自由にいくらでも重ねられる。色の制限もなかったので、びっくりでしたね。
――3DCGも当時素晴らしい出来でしたが、作画面でもかなり濃密な作品だったと思います
千明:前田さんのやる気もすごかったし、圧倒されましたね。あと前田さんを慕って集まった作画スタッフが凄かったですね。
――本田雄さんや鶴巻和哉さんに、井上俊之さんも入っていましたよね。
千明:今から思えば夢みたいな(笑)
――第1巻では金田伊功さんも入っていて。
千明:入ってましたね! 凄いですね(笑)
――いまでは当たり前となっているデジタル主流というアニメ制作体制、その第1歩だったと感じています
千明:でも本当に1歩目だったので、キャラクターと3DCGってそもそも質感がまったく合わないんですね。
頻繁にメインスタッフ会議みたいなことをやっていたんですが、本田さんが特にこだわられていて、「こんなの合ってないじゃん!」みたいな(笑)