――確かに第1巻を観る限り、まだ作画と3DCGが合ってないと思えるところがあったんですけど、第3巻以降はかなりマッチングしていると思いました。『青の6号』の中でも技術の進歩があったのだなと。

千明:例えば実写とアニメの合成みたいな作品がいくつかありましたが、それと同じ手法でいいはずないので、「ちゃんとマッチングさせようよ」って本田さんを筆頭に話し合いを重ねました。

『青の6号』でやりたいことが前田さんの中にはハッキリとあったと思います。もっと大きな意味で先進的なこととかCGでカメラを振り回せるとかいろいろなことを試みていました。

先進性だけでなく「少しでもフィルムとしてちゃんと世界観を統一しようよ」とか「空気感をだそうよ」ということになって、序々にそういう方向に傾いていった気がします。

本田さんが作監を担当された第3巻や、前田さんが尺を45分に増やした最終巻とか(笑)

――最後だけちょっと長いんですよね(笑)最初はほかの巻と同じ29分で?

千明:でした(笑)前田さんがコンテをアップしたらその尺あったんですよ(笑)

――あっ、もうこれはこれで作るしかないと!

千明:もう切れませんみたいな。

――そういう意味でも作り手の熱気があった作品なんですね

TVアニメに進出したGONZO作品を支えたものとは?

――GONZO作品と言えば、3DCG技術と作画を組み合わせた作品を作っているという印象が強いですが、『青の6号』で培われた技術はTVアニメに導入して作られていたと思うんですけど、当時の制作状況を伺えればと

千明:『青の6号』はすごくスタッフもよかったんですが、デジタル班は若かったんですよ。2DCGディレクター(撮影監督)の福士享さんも、学校を出てすぐだったんですね。その班にいた撮影さんもすごく若かった。

今もその人たちは業界に散らばって凄くがんばってらっしゃる方が多いんですけど、当時『青の6号』を3年くらいやっていて、その期間にキャリアと技術を得られたと思うんですよ。

多くの若いスタッフが時間をかけて本当に1カット1カット技量を磨けた濃密な時期を過ごすことが出来て、TVシリーズに挑戦する下地は出来ていたと思います。

――逆に言うと、その培った技術を使っていっぱい作品を作っていこうと?

千明:そうですね。たとえば『青の6号』だったり、そのあと別班で作っていた映画『銀色の髪のアギト』や『戦闘妖精雪風』ってやっぱり大作だったんです。そういう作品が目の届く範囲で作られているわけですよ。

当時も思っていたんですけど、その作品はGONZOの「F1」だなと思っていました。

――F1ですか?

千明:例えば、HONDAはF1でマシンを走らせながら市販車に技術をフィードバックしていくじゃないですか。それと同じだなとずっと思っていて。

たとえば『アギト』班の雲の表現って当時ではありえないぐらい凄いじゃないですか(笑)。セルアニメだったら手描きで雲を動かすしかないのに、ぐわーって3DCGで動いているんですよ。それを途中経過のラッシュチェックで見たりすると、これいいなって思うわけです。

この技術を使いたいなってTVをやっている自分たちでもわがままを言えるっていうか、言っちゃうんですよ。「これなんとかTVに落とせないですか」って。

当時のGONZOってそういうことができたので、それがのちの『LASTEXILE』につながります。