スタジオジブリ設立から30年間の歩みを体験できる特別展『ジブリの大博覧会 〜ナウシカから最新作「レッドタートル」まで〜』が、2016年7月7日(木)より六本木ヒルズ展望台の東京シティビューにて開催されている。同イベントで監修を務めたのは、スタジオジブリ制作業務部で20年以上にわたって法務や広報業務を担当している野中晋輔氏だ。
本記事では、宮崎駿、高畑勲、鈴木敏夫の三枚看板を長年にわたって支え続けてきた同氏に、展示の見どころと、過去のジブリ作品の制作秘話をお聞きした。
ジブリという「町工場」での仕事
――ファンの間では「スタジオジブリの生き字引」としても知られている野中さんですが、そもそもジブリで働き始めたのは、いつ頃なのでしょうか?
野中晋輔氏(以降、野中):私がジブリで働き始めたのは、『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年公開)の制作が終盤に差し掛かった頃でした。
宮崎駿はジブリという会社について語るとき「町工場」という表現をよく使いますが、当時のジブリもまさしく「家庭的な町工場」というイメージで、泥臭いところもありましたね。自分たちが制作した映画を世間に広めていく作業をジブリ自身がし始めた時期だったので、制作部門以外の部署はまだ体制が整っていませんでした。
そんな中、私は著作権や提携企業との契約など、法務関係の事務を担当する職員として入社したんです。
――ということは、野中さんはジブリ入社以前も法務関係のお仕事をされていたのですか?
野中:いえ、以前は営業職に就いていたので法務の知識はまったくありませんでした(笑)。最初は見様見真似で少しずつ法律について勉強していきながら、手探りで何とかやっていたんです。
――なるほど。法務のお仕事をご担当されている一方で、以前には、バラエティー番組の『笑ってコラえて!』にジブリの社員代表として出演されたこともありましたよね。
野中:私自身、ジブリに入社する以前から宮崎駿や高畑勲の映画のファンだったので、作品に関する知識がある程度あったんです。そのため今では、法務に限らず、出版物の監修や作品のPRも担当しています。『笑ってコラえて!』の出演や今回の大博覧会の監修も、そんな業務の一環ですね。