――こんな展開は、1年前には想像もしていなかった?
そうですね、実は佐江自身も去年の誕生日にどんな22歳にしようと思っていたのか、あんまり覚えていなくって……「何か新しいことにチャレンジしたい」とは、漠然と考えていたんですけど。
――「ミラチャイ」がスタートした当初(第1回)も、そのように語っていらっしゃいましたね。
それで22歳になってすぐ上海への移籍をいただいて、SNH48が自然と自分の目標になりました。この1年間で、中国のことを考えなかった日は一日もありません。でも佐江がやらなきゃいけなかったこと、やりたかったことが、まだやっぱりできていないのも現実です。
――佐江ちゃんの力だけでは、どうにもならないこともありました。
だから今年こそ、自分にできることには限界があるけど、10個のうち1個でも、0.5個でもいいから実現したい。22歳の目標は「新しいことに挑戦する」、つまりこれまでの自分から「変わりたい」というものだったけど、23歳はそれとは逆に、いい意味で「変わらない年」にしたい。
――目指すモノに、ブレがなくなった?
ブレがなくなったというか、5~6年前にしていただいた手相占いで、2013年は佐江の年になる! と言われたことがあったんです。それがうれしくて、2013年を自分のなかでひとつのターゲットにしてきました。一昨年から1年ごとにホップ・ステップ・ジャンプを意識してやってきて、2012年は「来年はジャンプの年だから、そのジャンプにつながるようなステップの年にしたい!」って。だから2013年に宮澤佐江が羽ばたくために何ができるか、それを大きな目標のようにしてやってきたので、上海という新しい道も選びました。
SNH48への移籍を決めたことで、自分なりにジャンプできたとは思っています。でも、違うやり方も、もしかしたらあったのかもしれない、と考えることもありました。
――ゴールは定まっていたのに、道の険しさに悩んだ日々でもあった……
22歳は正直にいえば、決して思い描いていた通りの1年ではありませんでした。今まで当たり前だったことが、当たり前じゃなくなりましたし。移籍前は毎週のようにファンの皆さんと握手会でお会いできたり、秋葉原の劇場公演に出演させて頂いていました。
AKBとしてテレビに出られる、雑誌に出られるっていうのが、ありがたいことだというのは分かっていたつもりですけど、そういう生活の一部になっていたことが、急になくなっていったので……それはすごく不安で、戸惑いもありました。でもだからこそ、そのありがたさを実感できて、SNH48の子たちへ「感謝すること」をより深く教育できるようになりましたし、ひとつひとつのパフォーマンスに真剣に取り組めるようにもなりました。
23歳の誕生日を前にして、2013年の残りの半年間で自分は何でジャンプできるか? そのことに向き合ってみると、直接、中国に関わるプロジェクトは、すぐには難しいかもしれないけど、SNH48の後輩たちに活躍している姿を見せて刺激を与えることも、彼女たちを引っ張ってゆく方法のひとつだと信じています。
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