今は若者のナンパスポットと化したビアホール街
明洞の北側の最寄り駅である乙支路入口駅から東へ一駅の乙支路3街駅。駅前は明洞のとなりとは思えない低層階の建物が残るエリアだ。
日本人には下町のように見えるかもしれないが、夕方以降、3番か4番の出入口から一歩路地に入ると目の前に驚くべき光景が広がる。
ここはソウルでもっとも盛っているビアホール街。冬場は路上に赤いテントの花が咲き、中からジョッキをぶつけ合う音が聞こえてくる。
春以降は簡易テーブルが通りを埋め尽くし、女子会グループの関心を買おうとする男の子たちが往来する。
乙支路3街のビアホール街がこんな雰囲気になったのは2015年頃からだ。
それ以前、平日は周辺の商店主や工場で働く人たちが仕事終わり(仕事中も)に生ビールを飲んで帰るところであり、週末は中高年の登山客が下山酒を飲むところだった。
その雰囲気は私が日本留学中の1990年代後半に訪れた東京浅草の「神谷バー」によく似ていた。
当時は金歯を見せながらゲタゲタ笑う中高年が楽し気にビールを飲んでいたが、乙支路3街同様、あの店も今は雰囲気が変わっただろう。
冬場は軒先に干物がぶら下がる乙支路3街の路地裏酒場
乙支路3街のビアホール街のはずれには80年代から続く大衆酒場が数軒残っていたが、再開発が決定したためそのほとんどが廃業した。
そのうちの一軒は長屋のような日本家屋を使った「ウファ食堂」といった。
店先には冬場は鱈の干物が、春以降は大根の干し葉がぶら下がっていて、ここがソウルのど真ん中とはとても思えない光景だった。
主人は70年代に韓国の南の端から上京してきた女性だった。客に愛嬌を振りまくような女将ではなかったが、厨房で黙々と働く姿に自分の母親を重ねた常連も多かったはずだ。
土日休みの店だったため幻の酒場などと呼ばれたりもした。
店の看板は私がもらい受けることになっていたが、まだ取りに行けていない。
そのうち再開発工事が始まり、跡形もなくなってしまうだろう。