今は若者のナンパスポットと化したビアホール街

乙支路3街のビアホールの最古参だった「OBベオ」は2022年に廃業

明洞の北側の最寄り駅である乙支路入口駅から東へ一駅の乙支路3街駅。駅前は明洞のとなりとは思えない低層階の建物が残るエリアだ。

日本人には下町のように見えるかもしれないが、夕方以降、3番か4番の出入口から一歩路地に入ると目の前に驚くべき光景が広がる。

ここはソウルでもっとも盛っているビアホール街。冬場は路上に赤いテントの花が咲き、中からジョッキをぶつけ合う音が聞こえてくる。

春以降は簡易テーブルが通りを埋め尽くし、女子会グループの関心を買おうとする男の子たちが往来する。

かつてはこの写真のような人たちが乙支路3街ビアホール街のメインの顧客だった(2012年撮影)

乙支路3街のビアホール街がこんな雰囲気になったのは2015年頃からだ。

2018年春の乙支路3街ビアホール街。女性客が増えたことが如実にわかる

それ以前、平日は周辺の商店主や工場で働く人たちが仕事終わり(仕事中も)に生ビールを飲んで帰るところであり、週末は中高年の登山客が下山酒を飲むところだった。

その雰囲気は私が日本留学中の1990年代後半に訪れた東京浅草の「神谷バー」によく似ていた。

当時は金歯を見せながらゲタゲタ笑う中高年が楽し気にビールを飲んでいたが、乙支路3街同様、あの店も今は雰囲気が変わっただろう。

冬場は軒先に干物がぶら下がる乙支路3街の路地裏酒場

ありし日の乙支路3街「ウファ食堂」。軒先で大根の葉を干している

乙支路3街のビアホール街のはずれには80年代から続く大衆酒場が数軒残っていたが、再開発が決定したためそのほとんどが廃業した。

そのうちの一軒は長屋のような日本家屋を使った「ウファ食堂」といった。

「ウファ食堂」の看板メニューだった鱈と豆モヤシの激辛煮

店先には冬場は鱈の干物が、春以降は大根の干し葉がぶら下がっていて、ここがソウルのど真ん中とはとても思えない光景だった。

主人は70年代に韓国の南の端から上京してきた女性だった。客に愛嬌を振りまくような女将ではなかったが、厨房で黙々と働く姿に自分の母親を重ねた常連も多かったはずだ。

土日休みの店だったため幻の酒場などと呼ばれたりもした。

80年代は整理券を配るほどの人気店だった乙支路3街のチヂミ酒場「元祖緑豆」も2021年に廃業
「元祖緑豆」の海鮮チヂミ。ネギたっぷりで卵でふわっとまとめられていてマッコリのつまみに最高だった

店の看板は私がもらい受けることになっていたが、まだ取りに行けていない。

そのうち再開発工事が始まり、跡形もなくなってしまうだろう。

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