自分の要求を知ってもらうことは「悪」ではない

相手と自分の食べたいものが違うとき、「辛いものもあって、それ以外のメニューも楽しめるところがいいね」とできるのが対等です。

その気持ちは図々しさや身勝手では決してなく、「ふたりでその時間を楽しむ」を前提にして話し合えることが、居心地のいい交際には欠かせません。

相手の気持ちを優先するのが愛情の証であって、「好きだからこそ我慢する」のを当たり前にしていると、「本当はこうしたい」と思う自分の気持ちを否定することになります。

自分の本音を言わない、「違うから伝えないほうがいい」とする人のなかには「自分の要求は悪いものだ」と思い込んでいる場合がありますが、先の段落でも挙げた通り、気持ちの抑圧は「疲れ」を招きます。

相手を好きなはずなのに、我慢することが多くて心が疲弊するようなお付き合いが、自分にとって幸せだと言えるでしょうか。

心に湧いた要求を「悪い」とするのは「求める自分」に自信を持てないからですが、思うこと自体を否定する必要はありません。

身を置く場面によって要求を持つのは誰もが同じであって、それは「間違い」ではなく自然な心の動き。

そう思った自分を否定するのではなく、「私はこう」と伝える姿勢が、相手にとっては理解を深める大切なきっかけになります。

相手の要求を知って「そうなのだね」とする自分と等しく、相手もこちらの思いを知って理解していくのが、健全な愛情です。

要求を伝える姿が相手にとっては信頼の証になることを、忘れてはいけません。