傷や痛みを負うことは「無駄」ではない

昔は片思いでも相手を好きな気持ちを純粋に楽しんでいたけれど、うまくいかない恋愛を繰り返して傷つけられることに大きな恐怖を覚え、報われない片思いを避けるようになったという人は大勢います。

誰かを好きになっても、悲しくなったりつらくなったりすること、自分が向ける好意を軽んじられることに耐えられず、心に生まれた好意そのものを育てるエネルギーがない人もいます。

それでも、人と関わって傷や痛みを負うのは相手も等しくそうであり、その経験を「傷つけられた自分」で置くのではなく「どうすればいいのか」を考えることで、次を間違えない糧にできると筆者は考えます。

LINEでメッセージを送るけれど、期待したような「自分への好意が感じられる返事」が来ないとき、「ショックだな、好かれてないのだな」と逃げてしまえばそこで終わります。

そうではなく、「この返信にはどんな意味があるのだろう」「これを送ったのはどんな気持ちなのだろう」と想像する意識があれば、「もしかして、自分の送ったメッセージがまずかったのかも」という可能性にも気が付きます。

せっかくコミュニケーションを取る機会があるのに、それを自分の感情だけで捨ててしまうのは、本当にもったいないことです。

相手には相手の事情があり、自分の現実とはまったく別である可能性は常にあって、それも「お互いさま」、すれ違うときは互いの状態を理解する努力が好意を育てるためには欠かせません。

傷や痛みを負うことは無駄な経験ではなく、違う人間同士だからこそ理解を深める機会だと受け止めれば、相手に気持ちを確認する勇気が持てます。

それを見て相手にも心を開く勇気が生まれ、こちらのことを知ろうとする意識が大きくなります。

恋愛は一方通行の関わりでは両思いが遠ざかるのは当たり前で、「報われない片思いはしない」のではなく「両思いになれる可能性を育てていく」姿勢が、居心地のいい距離感には必須だと筆者は思っています。