撮影:大崎聡

1994年にチームの一員となって以来、20年間浦和レッズ一筋でプレーし続けてきた山田暢久。正確な技術と日本人離れした身体能力、そしてその飄々としたキャラクターからいくつもの「伝説」が生まれ、それらは引退後の今もなおインターネット上でまことしやかに語り継がれている。

その真偽を、本人に直撃した――。

 

【伝説 その1】レッズに加入した理由が「すぐレギュラーで出られると思ったから」

高校生にとってプロの世界は憧れの舞台であり、未知の世界でもあるにもかかわらず、「それも、あります」というのが本人の弁。

「高校2年のときに初めて声をかけてくれたプロチームが浦和レッズで、そういう恩義みたいなものもありました」と山田。以後、高校を卒業するまでにJFLを含め合計10数チームから誘いを受けたそうだが、最終的には「父からもそういう恩は大切にしろと言われて」浦和レッズを選んだのだと言う。

 

【伝説 その2】プロ選手なのにマッサージを受けない

プロのアスリートにとって、体のケアは何よりも重要なはず。だが、本人曰く「ほとんどしないです」。

「月に1回くらい?」と尋ねると、「いや、月にゼロのときもあるし」と山田。「じゃあ、連戦のときにはやる?」と聞くと、「連戦でも、疲れてないときにはやらない」との回答。「とにかく、自分の身体が疲れているなってときにやってもらうだけで、頻度とか、そういうのはないです。年に何回かぐらい」とのこと。