『こども六法』読者の声

――山崎さんのもとには、読者からの声は届いていますか?

山「率直におもしろいって声が多いですね。親御さんから、”子どもがかなり熱中して読んでます”という声も届いています」

――おもしろいという感覚から学ぶのが、新しいな、と思います。

山「他には、教室に置いたらこんな変化があったですとか、校長先生から、”すべての教室に置いたので講演に来てください”という声が届いたり。また、PTAからも”全教室、全教員に配りました”と後押しをいただいたりしています」

――草の根的に広まってるんですね。

山「否定的な声もなくはないです。

こども六法が学校に入ることで、”子どもが生意気になる”、”子どもが自分の権利ばかり主張するようになる”とか。あと、”子どもには法律なんかまだ早い”。

でも、(批判は)思ったよりは少ないかな」

――今は、今までだったら隠されていたことを、おかしいんじゃないかと思う人が増えて、明るみに出てきている時代ですよね。子どもや女性など弱者が言葉を持つようになったことと、関係があるのではないかと思います。

学校教育において『こども六法』をどのように使ってもらいたいのか?

――学校教育において、こども六法をどのように使ってもらいたいとお考えですか?

山「とりあえず教室に置いてもらえれば、それでいいです。読める場所にあることが重要なので。

これを使って授業をやるとしたら、具体的な法教育という目的をもってやるのも可能だと思いますが、それ以外だと、社会の授業で日本国憲法学ぶときにひいてみるとか。

『こども六法』には憲法や憲法以外の法律のことが載っている、ということがわかればいいんです。あとは子どもたちが興味を持ったら、勝手に読んでくれると思います」

――いじめというと、学校では道徳の授業がありますよね。道徳と法教育はどう違うのでしょうか。

山「道徳教育と法教育を混同すると、それぞれの良さがわからなくなります。

”法律で禁じられているから人を殴っちゃダメなのではなく、そもそも人として人を殴っちゃダメ”というのは、道徳(マナー)の話で、だから、法律(ルール)じゃなくて道徳を教えるべきなんだ、とだいたいの人が言ってしまうんですね。

”相手を思いやる気持ちがあれば、法律なんてなくても人を殴らないでしょ”というのはすごく日本的だと思います」

――マナーとルール、どちらも大事ということでしょうか。

山「たとえば、挨拶をルールにして、挨拶しない人を罰する世の中になったら、すごく生きづらくなると思いませんか。そうではなく、挨拶はしなくてもいいけど、したら気持ちいいよねー、というのがマナーですよね。

反対に、殺人はしない方がいいよねって世の中になったら、それは非常にマズいわけで。殺人をしないことがマナーではなくルールになっていることに、意味があるんです。

大事なのは、法律と道徳、それぞれにいいところ、役割があって、それぞれ必要なものなんだということを、どうバランスよく伝えていくか。それが、教育において、これから考えなくてはいけないことでしょうね」

法律は非常にロジカルにつくられている

――なるほど。教師をされている大人が、そのあたりをまずしっかりと理解しないといけなさそうですね

山「そうですね、それは日本人一般に言えることですね。そこをうまく全体的に変えていけたら、意識も変わっていくのではないかと思います。

道徳を支える価値観は、他人を思いやることや優しさがベースになっていますが、法律というのは、他人にも自分にも人権があるのは当たり前という前提があるので、非常にロジカルにつくられています」

――日本的という意味がわかった気がします。日本では、まだまだ人権意識が当たり前のものになっていないから、なにかあったときに道徳的に考えるクセが出てしまうのですね。

山「日本で人権とか権利という話になると、”この子にも人権がある。認めてあげないとかわいそうだよ”ということになりますが、法律の世界では”自分にも相手にも、人権はあって当たり前。

自分の人権を守るために、相手の人権も守る”となる。このマインドをいかに浸透させるかが、これから重要になってきます」

――大人が子どもたちをそちらの方に導くことができるかが、カギになりますね。