「日常」を感じさせてくれる、5人のラジオ
メンバーが交代交代で出演していた番組は終了してしまったけれど、他の4つの番組は2017年も普通に営業している。
タイトルが変わったり、変わらなかったりしているけれど、そんなことは些細なことで、それよりも、こうして、彼らのラジオを毎週毎週聴けていることは幸せなことで、そのことに感謝したい。
わたしたちにできることは本来感謝しかないはずで。失くしてからしか気づけないこともたくさんあるのかもしれないけれど、彼らのラジオを聴いていると、やっぱり、かなしんだり、憤ったりという気持ちにはとてもなれない。
そもそも彼らは「一緒に泣こうよ」とか「怒りをこめて立ち上がれ」とか、そういうことを歌ったことはないと思う。それでも続いていく日常に感謝すること。多くの場合、そんなふうなことを歌ってきたと思うし、それはラジオを聴いていても、しっかり感じられることだ。
ラジオというメディアがそもそも日常に隣接しているメディアだから、特にそう思うのかもしれない。それでも日常は続いていく。彼らのラジオを聴いていて思うのはやはりそういうことで、それは去年も今年も変わらない。大切なことは何も変わらない。
あらためて知ることができた、稲垣吾郎というひとの人間性
いちばん衣替えしたのは、稲垣吾郎さんの番組かもしれない。女性誌の編集長という設定になり、編集会議のようなコーナーがあったり、雑誌のコラムやエッセイを模したカテゴリー分けが用意されていたりもする。
ただ、変化したのはフォーマットだけで、吾郎さん自身が大きく変わったりということはまったくない。だいたい、そんないきなり、人は変わったりするものではないし、日常だって、そうなのだと思う。
むしろ、フォーマットが変わったことで、人間の機微や日常の尊さが明瞭になった気がする。
この前は、東京・赤羽の魅力を、電話取材しながら話していた。吾郎さんが赤羽近辺で子供時代を送っていたことは意外だったけれども、赤羽のレトロな教会についての語りは、とても吾郎さんらしいと思った。逆に言えば、赤羽という意外なファクターを通して、あらためて知ることができる稲垣吾郎というひとの人間性が間違いなくあったし、それは普遍的なものであるとも思った。
わかっているはずのことが、別なファクターを通過することで、より鮮明になるということはよくある。たとえば、海外に行くと、日本の良さがよくわかる、というのはよく耳にする話だ。自分なんかは国内でも出張に出かけると、自分が大切にしたかったものに気づけたりする。旅という時間はそういうものだと思う。
旅は非日常の側面もあるかもしれないけれど、それは、ただ、まだ「慣れていない」日常でしかないのかもしれない。旅もまた日常の隣り合わせにあって、日常のかけがえのなさを知るために、ひとは旅をするのではないだろうか。
わたしたちはいま、旅をしているだけなのかもしれない。この旅がいつ終わるのかはわからない。だが、もし、この旅が終わらないとしても、わたしたちは、そこに日常を見出すのだと思う。そして、その日常を大切にしようとするのだと思う。旅もまた日常になるのかもしれない。