ゾロリに込めた、子を持つ親たちへのメッセージ
――ゾロリのキャラクターや物語を作り上げていく上で、先生から子どもたち、もしくは子を持つ親たちへのメッセージを込めた部分などはありますか?
「「これを伝えたい」と思って最初から書いてきたわけではないけど、30年やってきて、俯瞰で見た時に気づく部分はありますね。
ゾロリは甘えん坊ですから、もしもママが生きていたら冒険してないんじゃないかな?
でもママが亡くなって、パパもいなくなって、自立する以外に道がなくて頑張っていて、イシシとノシシという弟子もできて、さらにしっかりするしかなくなった。実は社会に出るってそういうことですよね。
今の時代、お父さんとお母さんが何でも先回りして全部やってあげちゃうでしょ。でも失敗しなければわからないし、子どもにちゃんとやらせてあげてほしい。
自分たちがいつかいなくなった時、自立できるようにするのが親の役目。目の前の優しさで全部やるのじゃなくてね。たとえば手紙を出してきてとお願いされた子どもは、郵便ポストに背が届かないと最初はかもしれない泣くけど、誰も何もしてくれないとわかると、石を持ってきて台にしたりと知恵を働かせる。
社会に出ると知識より知恵を働かせることが大事なんです。社会に出て親がいなくても、自分で何とかするしかないし、自分で拓ける道があるってことに気づいてほしい。
――ゾロリは確かに、必要に迫られた時、知恵を働かせて様々なメカを発明しますね。
「自分の意志ですね。今回の映画でもママは「洋服を作りたい」という意志を持っているし、ゾロンド・ロンは考古学者になるか宝さがしをするかという、自分の意志で生きている。
私も絵描きになりたかったけれど、そんなにうまくはなかったんです。絵がうまい人、お話を作るのが上手な人は、世の中にいっぱいいます。でもそこで、自分にしかできないことは何か? と考え、小学生が面白いと思ってくれるようなものだけを追求してここまでやってきました。
子どもたちにも好きなことを見つけてほしいと思います。どんなことも、やりこむとどんどん面白くなるし、大変さも出てきます。でも好きなことならば大変でもがんばれるから」
本は無理に読まなくてもいい!?
――好きなことに夢中になってくれるのは嬉しいですが、ゲームだったりインターネットばかりだったりすると、親はついつい「もうちょっと本も読んでほしい」とか思ってしまいがちですが…。
「私は基本的に「本は無理に読まなくてもいいよ」という立ち位置です。私自身、本が嫌いな時期もありました。
大人は「本を読んでほしい」「どうせ読むなら“いい”本を」「どうせ買うならお勉強になったり、感動できる本を」と思いがちだけど、本の楽しさを知らない子には、その思惑は逆効果です。
私自身、本が嫌いになったのは、そういう大人の思惑が透けて見えたから。大人が見せたがる映画や本は面白いわけがない! と子どもたちは敏感に感じ取ります。大人が「いい」と言うものは、教育的なプラスがあるってことなんだろうって。
大人は自分たちが感動するような絵本を子どもに薦めるけど、人生経験を積んだ上でしかわからない。子どもの時はオナラとか覚え始めた言葉を使ったオヤジギャグでゲラゲラ笑うんです。大人になっても「オナラ! オナラ!」って走り回ってる人なんていないから大丈夫です!
『ゾロリ』も中学に上がったらみんな読まなくなります。手塚治虫の漫画も、昔は大人からよく言われなかったけど、「鉄腕アトム」を読んでロボットを作るようになったり、「ブラックジャック」を読んで医者になったという人もいるでしょ?
難しい名作とか偉人の伝記を読んで「人生、難しいな…」とか「こんな困難を乗り越えなきゃいけないのか」って思うよりも、ちょっと無邪気に小学校生活を楽しんで、面白いことや好きなことを見つけてもらった方がいいと思います。
基本、お話というのは、「次はどうなるの?」と物語の面白さに引き込まれていくべきものでしょ。
本は、めんどくさくなったり飽きたら閉じられるんです。飽きて閉じられたら次にはなかなか開いてもらえません。読み始めたら一気に読んでもらわないといけない。
だから僕は、イヤなところや気になるところでページを終わるようにしているんです。
「すると」「そして」「しかし」「ところが」って。立ち読みしていても「ところが」では終われないでしょ(笑)。
読み進めると「すると」と出てくる。もうちょっと読んでみようと思うと次は「なんと」と出てきて…結果的に全部読んじゃったりする。
そうやって、いままで一冊の本を読み終えることができなかった子が、読み終えると達成感もあって、本の面白さに気づいたりする人です。
「ゾロリ」は本を読み始めた子どもに向けて書いている
――親が無理に「読ませる」のではなく、子どもに本の面白さに気づいてもらうことが大事なんですね。
「本の面白さを知って読んでいくうちに「文章でこんな表現ができるのか!」と理解でき始めると文学が面白くなってくるんです。
たとえば「ゾロリ」は本を読み始めた子に向けて書いているので「よる、ほしがキラキラまたたいてた」という表現ですが、これが宮沢賢治だと、いろいろな夜の表現になる!
でも、最初からその良さがわかるわけではなく、徐々に知っていくものです。大人が宮沢賢治の素晴らしさを知っているから「ゾロリより賢治を読みなさい」と引っ張り上げようとしますけど、そういうことを言う大人も最初からわかっていたわけじゃない。
小学1年生の時は、オナラでギャーギャー言ってたわけですよ。そこを思い出してほしい。オナラからでいいじゃんって思います」
――これも大人はつい、我が子に最短の道を歩ませたくなってしまいますが…。
「つい老婆心で、上に引っ張り上げてあげたくなるけど、それはお節介なんですよ。
今回、映画でゾロリは過去に行きますが、大人は子どもにとってはまさに未来から来た人なんですよ。経験が身に染みているから「夏休みの宿題は早めにやった方がいい…」と言いたくなるけど、それは自分が始業式が近づいて慌てたり、失敗した経験があるからです。
それは言われて身に着くものじゃないんですよ。子どもたちにも経験しないとわからないんです。
――まさに先ほど、おっしゃったように目の前の優しさではなく、失敗であれなんであれ、自分でやらせてみるのが大事なんですね。
「私がよく言うのは、「誰でも大人になれる。大人は努力してなるものじゃない」ということ。だから大人であることを威張ることではない。
大人が自分が経験したことを知っているのも、子どもが知らないのも当たり前のことです。「それ知ってるよ」と言っても、そりゃ子どもは知りませんよ。腰が痛くなったり、痰がからむのと同じです(笑)。