“誰も犠牲にしない”という考え方は一つの理想となりました

撮影/稲澤朝博

――本作からは「らしさ」というものに対する捉え方を問われた気がしました。

誰かに「らしさ」を求めることが良いことか、悪いことか、というのは置いておいて、その「らしさ」が誰かの犠牲につながることは、実は多くあるんだな、とも感じました。

その犠牲をどこか「仕方のないこと」と括ってきた社会があって、僕自身もその一部であることにもすごく複雑な気持ちにはなりました。

「らしさ」というものに対して我慢や犠牲が生じることは良くなくて。自分のキャパシティ以上の犠牲が強いられているかは、その人自身にしかわからないところでもある。

そういうときには「本当の自分らしさ」に立ち返ることが何より必要なんだと、僕はこの作品と主観的に出会い、客観的に捉えていく中で感じました。

ただ一方で僕のような職業の人間は「らしさ」のようなイメージによってご飯を食べているというのもあって。一つの作品でいただいたイメージ、「らしさ」の延長で、また次のお仕事をいただけるという。

そういうことが多かった俳優人生でもあるので、必ずしも否定はできないんですよね(苦笑)。

撮影/稲澤朝博

――斎藤さんには理想の家族像はありますか。

僕は独身なので理想、想像、空想、いろいろあるんですけど(笑)、この作品を通して桧山がたどり着いた“誰も犠牲にしない”という考え方は一つの理想となりましたね。

“犠牲”と言っても戦争の犠牲者のような明らかなものもあれば、自分にしか感じられない“犠牲”もあると思っていて。そういう見えづらい犠牲を共有できるのが理想なのかな、と。

互いに察知し合える距離感を保つというか。犠牲を感じてくれている、無視しないでいてくれる、と思えることが肝になるんじゃないかと想像しています。

©坂井恵理・講談社/©テレビ東京

――桧山と亜季のカップル、桧山の家族、亜季の家族、この3つを取っただけでも、さまざまな考え方や形がありますよね。

桧山は女手一つで育ててくれた母親に対して、母が自分に対して犠牲を払いながら育ててくれたと捉えていたと思うんですね。だから母親に自分が経済的サポートをするから、仕事を辞めてもいいって言うのだと。

でも母親の方は自分がしてきたことを犠牲と桧山に思ってほしくなくて、自分は自分としてタクシー運転手という仕事と向き合っている、と。そうやって家族の中でもお互いに犠牲の捉え方が違っているんですよね。