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管理教育や点数主義に疑問を感じた熱き教育者たちが、1985年に立ち上げた埼玉・飯能にある「自由の森学園」。

中高一貫で、テストは入試の時だけ。合唱や制作活動が盛んで、最近ではクリエイティブな職業に就く卒業生が多いことでも知られています。

ともすれば、「自由」の一言で片づけられてしまいがちなその校風ですが、自由な教育とは、具体的にどんな教育を意味するのでしょうか。

校長室にいるより生徒たちがひっきりなしにやって来る職員室にいる方が好きという、中学校の中野裕校長先生にお話を伺ってきました。

“楽しく勉強してる”って言うと、ふざけてるんじゃないかと思う人もいる

――今朝、ラジオで、「国は競争させることで研究が活性化すると思っているが、実態はそうではなくて、競争があるためにデータを改ざんする研究者も出てくる」といったことを聞きました。今日、お聞きしたいと思っている自由な教育の話にもつながるのではないかと思いました。

「自由な教育」というと、世間一般で考えられていることとはまったく逆のような印象を抱く人も多いと思います。

たとえば学内の行事にしても、前回、自由の森の卒業生の田中馨さんと松本野々歩さんにお話をうかがった時に聞いて驚いたのが、積極的に参加する子と、あまり集団にはなじまない子が普通に共存できていた、というお話です。

一般の学校だと、どうしても積極的に参加している方が、そうでない方の子を責めたり、無理に参加させようとしたりしがちですよね。それって、積極的に参加している方も、実はやりたくてやっているわけではないからではないかと思うんです。自分たちだって我慢してやっているんだから、やらないのはずるい、みたいな。

中野校長(以下、中野)「そうですねぇ。安っぽい平等性とか公平性みたいのがあるのでしょうか。自分とかみんなが我慢してやっていることを“しない人”に、頭に来ちゃう人は多いと思いますね。

それと、“楽しく勉強してる”って言うと、ふざけてるんじゃないかと思う人もいるのではないでしょうか。よい結果を得るにはそれなりの苦しみが伴うのは当然だと。ところが、ここの子どもたちは苦しむものとして“学ぶこと”をとらえていないんです。本当に苦しむのは、自分自身でその“学び”を評価するときなんです」

通知表の代わりは“自己評価”を文章で書くこと

――いわゆる5段階評価ではなく、自己評価が通知表に代わるものと聞いていますが、どんなものなのでしょうか。

中野「通知表というのはその名の通りで、通知されるものです。自由の森で行っているのは、『学習の記録』といって、半年間もしくは一年、どんなことを学んできたか、自分の変化を文章で書くものです。

学ぶと、びっくりしたり、自分の価値観が変わったりすることが必ずあるんですよね。どういう風にびっくりしたか、今まで信じていたものが変わったことで、どのように自分が変わったか、などを文章で書くんです。

これが結構大変なんです。中1の男の子は“おもしろかった、おわり”みたいな感じで終わっちゃったり。そういう子たちが、ここの学校でいろいろな経験やさまざまなことに出会っていくと、書くことが増えていくんです。

高3くらいになると、こちらが返事を書くのに窮するくらいの深い自己評価の文章を書いてきたり、間に合わないから締め切りを延ばしてくれと言いに来たりすることもあるんです。

中1の子が書けないっていうのは、書く材料が蓄積されていなかったり、あるいはそもそも“自分のことを書く”というやり方がわからなかったりするんです。

しかし、学年が上がるにつれて書きたいことはありすぎるくらいいっぱいあるんだけど、どれを選んだらいいのか自分で決めなくてはいけなくなってきます。これがすごく苦しい作業なんですね。」